高校受験をした時、通っていた塾で講師に言われた何気ない一言を、今日ふと思い出した。





おそらく英語の問題だったと思うが、選択問題に回答した時、正解だったが勘で答えたものだったので勘で答えました、と、それを正直に言ったことがあった。

もし、ああそうですかで終わっていたら、

きっと中学生にとっては少しきまりが悪い記憶になるだろう出来事だった。しかし、その講師は熱い男だった。ラガーマンだったからかな?

彼は私にこう言った。





「勘と当てずっぽうは、似てるようで全然違うんだよね。当てずっぽうが何も考えずに選んでることだとしたら、勘っていうのは今まで蓄積してきた知識とか経験に則ったうえで正しいと思うものを選んでるから、実はただ適当に選んでるんじゃないんだよ。だからあなたがこの問題を勘で答えて正解したのも、ただの運だけとはいえないかもね」





と言ってくれた。スーパー神フォローだ。

当時はガキ心に結構納得した記憶がある。

今振り返ると、言っていることはいいことだが、特別すごいことではなかった。




きっと子供相手でも対等に思っていることを素直に口にしてくれたのが当時は嬉しかったのかもしれない。

私は学校の先生を先生というキャラクターではなくあくまで1人の大人という前提があるとして見ているタイプの勘のいいガキだったので、

先生という表に出る姿でありながら、1人の人間としての意見を述べてくる人もいるんだなと、驚いたのと同時にその塾講師を信用できると思った瞬間だった。





多分子供というのは結構よく考えている生き物だ。

家に遊びに来たらテレビ画面で縦動画のYouTubeショートを見るという珍しいスタイルで動画視聴を楽しむ従兄弟の小学生も、学校行事で一緒にまわりたかった子が他の子と約束してしまっていたからもう楽しみではなくなったと吐露した時があった。


 



感情がまだ育っていない、コミュニケーションのとり方が素直な時期でも、こういう問題は起こるのだ。しかも当人間だけだと答えがAかBかになりがちである。

もう先着で約束がある。だからあなたとは行けません。ごめんなさい。となるのである。

「でもあなたともまわりたかったなあ、もう一人にも打診してみようかな、」

だとか、「次回の行事はあなたとまわりたいなあ」

などというフォロー文句も勿論存在しない。



私は子供の世界は時に大人同士よりも遠慮なく地獄に到達しうる世界だと思っている。



だから私は子供も、子供の世界も苦手である。

実際に自分が小学生の時は、マジックツリーハウスを読みながら本を読まない周りのやつら、ガキだなあと思っていたし、

現在も子供を子供だからという理由で無条件に甘やかすことができないから懐かれない、従兄弟ガチャハズレ枠なのである。

そして自分が小学生の時も多分、周りの大人から見えているより自分なりに考えていた。

なのに大人になるにつれて、今度は子供は子供という1括りのアイコンとして見えてくる。

たとえボンボンドロップシールやスクイーズに夢中でも、あの時の私と同じように、今の子供たちも彼らなりに考えていることは多くあるのだと思う。




このような捻くれガキであった私にとって、身近な先生だとか親だとかの他の大人が、子供を階段の上から見守るだけではなく、こちらの舞台に降りてくる様な経験は今でもふと思い出すほどには不思議な体験だった。

この人は違うぞ!自分の個をよく見てくれている!と、思った。





だからなのか、元来の性格なのかはわからないが、私はいつも、従兄弟の小学生の話も、親の話も、高校生の話も一定のトーンで聞いている。

そして虎視眈々と、従兄弟ガチャハズレ枠からガキ扱いしない貴重な大人枠に進化するのを待っている。

お年玉はあげないけど。