なんじでげ~ろ!
またしても98%ひとりごと。
twitterにでも
つぶやいたほうがいいかな
などと思いながら。
思春期特有の悩みに近いか、
オイラが悩んでいるのではなく
漠然と思ったコトだけど
たとえば、儒教の国ではないけど
目上の人間を敬いなさいという
"道徳"とか"教え"の中に
完全なる屁理屈だとはわかっていながら
「住める家があるだけでもありがたいと思え」
「食べられる米があるだけでも(以下同文)」
そのような教育を当たり前に受けてきただろう
ニッポンのみな~さま
屁理屈だけど、
法律もあるだろうケド、
どうして
衣食住の「衣」にはあまり触れないのだろうと、
屁理屈なんだろうケドね、
漠然と思った。
(セールに行きたかった模様)
そして、上記の教えを
戦後直後のような "変わらぬ説教"としか
捉えられずに
逆にズレていっちゃうコドモたちもいるのかな?
と、少しだけ心配になった
というのも、
海外在住の友人から
電話や家でメールできる環境とか、
ニッポンでは当たり前のコトが
「少しもないんだよ」
という報告をもらったからで。
普段、漠然と過ごしていても
なにに感謝して、なににありがたみを感じるかは
ヒトそれぞれだけど、
年明けて、20日くらい
必ず、空をみる時間をつくっています。
コチラのブログにもね、
多分、国境を越えてもコメントしてくれたりw
いろいろカンジながら
いろいろなモノをみながら
遊びに来てくださるコトに感謝していて。
ただ
実は、
書きたくてもなかなか書けないときもあるコトは
なかなか素直に書けなくて。
そう、その友人の返信メールに
「烏骨鶏の温玉みたいな夕日、ね、空を見てよ。」
書いてしまったんだな、ヨーロッパ宛に。
(多分、朝?)
でもね。
物理的なコトはどうでもよくて
同じ空の下を感じていたいときも絶対あるって。
そんなとき、
空、一回みてみるといいかなって。
いろんなモノ、
越えていって欲しいんだよね、
アナタにも
キミにもあの方にもあの子にも。
おしつけの
「ありがたみ」じゃないものって
なかなかみつけにくいよね。
みつかると、それはそれで、嬉しい。
でも、いつも思ってるんだ
ありがとう。って。
という、98%ひとりごと。でした。
YOU LOCK FINE!
from.コチュジャンケンタッキー、おいしかったよ。・網戸もえ
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