皆さんこんにちは

暑い日が続きますね滝汗 



前回の続き。


ボディリリースを受けてから

私に変化がありましたというところからビックリマーク



ボディリリースは内側と外側のエネルギーを

同時に捉えていくものですよ




という

お話をしましたが、


まず内側のエネルギーを学さんと一緒に

感じ取っていく練習。


下からグーっと上がっていくエネルギーを

捉えようとする時、どうも胸の辺りで

詰まる?感じがしました。


そしたら、

学『どう、どう感じる?』


私は勘違いかもしれないし

違ったら恥ずかしいので胸の辺りが

つまる感じがあるって、パッと言えずにいたら


学さん『なんか胸あたりがザワザワするね照れ?』


と軽く言い当てられて


ちはる『激しく頷くガーン

(この人の前で嘘はつけない。。。)



学さん『息入る?』


ちはる『ガーン‼️、実は吐き出すのはできるけど、あんまり吸えません。』

(私長年、何でかな😕と思っていたことの1つが

息があまり吸い込めない事だったのを思い出しました)



溜まりの原因が何なのかは、

人によって全く違うそうで、


まずはつまりをほぐすために

セルフハグ🫂みたいな

形をとって、肋骨をグーっと中に

自分が萎むような感じでほぐしていきました


息も鼻の3つの空洞を意識したり

吸った空気を蝶形骨という部分に

ぶつけるイメージ(上に上に)で〜っと

誘導され



すると、

学『おや、少しほぐれて喉まで言いたいことが

来てるねウシシパコパコしてるね!』



確かに風船🎈が喉に上がってきたみたいに

喉がぐい〜っとガーンなってて


ただ、風船が🎈ペッて出さずに

そのまま喉でストップしてる感じで

ゴフフ笑い泣き



でも自分が何が言いたいのか

その時は分からなくて笑い泣き



学さん『今言いいたくないなら言わなくてもいいよ』


ちはる『え?何だろ、ホントは毒舌なのに隠し気味なところ?』

(この時、苦し紛れに絞りだしてトンチンカンな事を話してしまったが、

数時間後、胸の詰まりはそんな事じゃないと分かる。笑)





学さん『胸のところも、今回は深掘りしないけど自分が向き合うか向き合わないか自由に決めれる事だからね😊』



『では、次に…』



といった具合で

その胸やのどを詰まらせてる正体は

一旦保留したままボディリリースの体験

終わったのですが。




なんと、その2.3時間後

分かってしまったのです。


私がふんづまらせていたものが💩



正確にはドババババーっと勝手に出てきたと

言う方が合ってるのか?アップ



私の胸につまってたものは

『我慢くるしいよ』でしたイヒ



小さい時から大人になるまで

我慢してきた事が

ポコポコポコポコ〜っと出てきて


そっか、私は我慢するのが

しんどかったのかと分かったら

涙がドババババーっと😂出てきて


そして、自分で自分のことが分かった瞬間

嬉しいやら、安心したやら、よく分からない

幸せな感覚を感じましたにやり💤


私の我慢大会の歴史↓

(ここからpart3まで

ほぼ、私の我慢したことの

羅列みたいになっちゃうので

嫌な人は抜かして下さいませ)




・小学生になる時にススマに引っ越しました。


保育園までは毎日友達と外に出て、川でザリガニ🦞をとったり、自転車🚲にのる練習をしたり。とにかく

明るく活発な子供でした。

でも引っ越した途端、周りに知らない人ばかりで、

学校まで🏫3キロくらい離れてて、道が覚えられなくて、漠然と怖くて、あまり喋らない内気な子供なりました。


近所の子は引っ越してきた私が珍しいからか

沢山質問してきて話しかけてきましたが

怖くて喋れなかったら、喋らないヤツとイジメが始まりました。

(同級生はそんな人はいませんでした。家の周りの近所の子だけです)


母が様子がおかしいことに気づいて

学校の先生に言ってくれたので

2年くらいで、イジメ終わりました。笑


・中学生になり我慢を教育される

軍隊みたいなところで、いつも緊張感がありました。

先生の機嫌次第で場の雰囲気が変わり、

そんな圧迫感に耐えられず不登校になる子もいました。

ある時、運動会の係りで運営というものになり

その担当の先生がスパルタで

まずは運動場〇周してこいムキー🏃‍♂️‍➡️‼️


という運営と関係ねーやろという

意味不明な指導をされて疲労骨折しました。

(正確には病院🏥行ってません。でも看護師として働いた今考えたら、多分ヒビかなにか入ってたと思います。笑)


足を少しひこずる生活を3.4ヶ月しました。

足大丈夫か?と声をかけてくれる先生もいたのですが、大丈夫ですグラサン!としか言えません。


母は太り過ぎじゃろ笑い泣き。とバカにしてきました。

(テメー今考えたら最低な親だな‼️🤣笑)


まぁ、太ってたのは事実なので

太ってるのに負荷かかりすぎて

骨💀がビキッと言ったと思われます。


ずっと我慢してそのままやり過ごしました。



・進路の決定 

高校生になり、進路を考える時

私の中で美容がやってみたいという思いがありました。でも、両親は看護師になって欲しいと思っているのをずっと分かっていました。


ただ、1回だけ勇気を出して美容の学校行ってみたいと

話すと、そんなお金💰ないよ。


と軽くあしらわれました。笑

(でも看護学校に行く金ならあったらしい。笑)


看護師の方が国家資格という一生もの免許がとれるし

お金に困らない✨!

自分はそれを望んでると言い聞かせて

看護学校へ進学しました。

この頃になると内気が

すっかり元の活発明るい🔆ちはるに

戻っていました。笑



・近所の人の嫌がらせ

看護学生になったころから

近所のおばさんが、大声で怒鳴ってきたり嫌がらせが

酷くなってきました。

(正確には引っ越してすぐ母だけ嫌がらせを受けていたようです。ずっと我慢させてしまっていたので母はその後ひどい鬱になります。)



毎日玄関を🚪出た瞬間から

『死ね、おまえのババァはどこいったんか?引きこもりか?バカバーカ‼️』


家に帰ってきて車から玄関に入るまで

『この、クソが!死ね!』


ずっと大声で怒鳴られ

看護学校に祖母になりすませて電話☎️を

かけてきたりました。


なぜ、私が〇〇の看護学生なのをしっているの?

盗聴されてるの?


そんな、不安が出てきました。


車のタイヤを🛞パンクさせたり、

飲み物のようなものを車にかけられていたり、


嫌がらせはエスカレートしていきました。


母は不安からアルコール🍺が止まらなくなり

肝臓が悪くなって、肺やお腹に水がたまり

入院しました。


先生から後少しくるのが遅かったら

死んでたよ、何でこんなになるまで

こなかったのか‼️と

怒られました。笑い泣き


入院してからも、

病室まで把握していたようで

そこでも電話の☎️嫌がらせがらせがありました。




父は市や、地域や警察👮

ありとあらゆるところに掛け合って

頑張ってくれましたが



物理的に何かをされたわけではない、

証拠がないといったことで

なかなか解決できませんでした。


寝る前にいつも、今度は殺されるかもしれない

父や母が傷つけられるかもしれないと思って

泣きながら寝る日もありました。


警察は何の役にも立たない、


近所の人も、サッと気配を消すように

誰も助けてくれません


警察も近所の人達も

誰も悪くないけれど

お前らも許さないと恨んでました。



なんで、物理的な攻撃がなかったら何もできないの?

それは刺されて殺されたら、やっと対策しますってこと?ふざけるなと


毎日怒ってました。 誰か助けてって思ってました。



そうか、もし何かされたら

私が殺してやろうと思うようになりました。


よくあるじゃないですか


犯人はあんな酷い事をしたのに軽い処罰。

死刑じゃないなんて‼️って被害者家族がテレビで

泣いてる映像とかありますよね



なので、そうか

あいつらが何かしてきたら

逮捕される前に殺すか、


留置所から出てきた時とか、

とにかく誰もたすけてくれないから 

私が殺そう


いや先に殺しに行くか?



本気で思ってました。



今お客さん達は私を、いい人、ありがとうって

言ってくれますが


私は人を殺しても良いと思える人間なんですよ笑い泣き

皆さんが思ってるほど私は善人ではないです。



結局何もできないまま、状況も変わらぬまま

母は退院し

私は看護師になりました。




我慢大会の歴史長すぎて、

次につづく。。笑

またね