<vol.99(19)>

p.116 ディエゴ・ブランドー

「しょせん 人間はハトの群れと同じだ 一羽が右へ飛べば全部が右へ行く どいつもこいつも自分の利益とうぬぼれしか見ようとしない気取り屋どもの集まりだ そんなヤツらのためにオレの母親が死んだ事は水に流してやってもいいが オレはもっと気取らせてもらってそういう“ハトの群れ”をとことん上から“支配”してやるぜ」

 

→リスクを取り、正しく自由を享受できる人間が人の上に立つことができる

 

<vol.98(18)>

p.147・148 ジョニー・ジョースター

「“生きる”とか“死ぬ”とか 誰が“正義”で 誰が“悪”だなんてどうでもいい “遺体”が聖人だなんて事も ぼくにはどうだっていいんだ ぼくはまだ“マイナス”なんだ“ゼロ”に向かって行きたい “遺体”を手に入れて自分の“マイナス”を“ゼロ”に戻したいだけだ」

 

→貪欲さは無意識のブレーキを外す

 

<vol.96(16)>

p.83~87 ファニー・ヴァレンタイン

「たとえ話で 君はこのテーブルに座った時 ナプキンが目の前にあるが 君はどちら側のナプキンを取る? 向かって“左”か?“右”か?左側のナプキンかね?それとも右側のナプキンかね? 正解は“最初に取った者”に従うだ 誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が“右”を取らざるを得ない もし左なら全員が左側のナプキンだ そうせざるを得ない これが社会だ 土地の値段は一体誰が最初に決めている? お金の価値を最初に決めている者がいるはずだ それは誰だ? 列車のレールのサイズや電気の規格は? そして法令や法律は? 一体 誰が最初に決めている? 民主主義だからみんなで決めてるか? それとも自由競争か? 違う ナプキンを取れる者が決めている この世のルールとは“右か左か”? このテーブルのように均衡している状態で一度動いたら全員が従わざるを得ない いつの時代だろうと この世はこのナプキンのように動いているのだ そして、"ナプキンを取れる者”とは万人から“尊敬”されていなければならない 誰でも良いってわけではない 無礼者や暴君はハジかれる それは“敗者”だ」

 

→既存のルールで勝つのではなく、新たなルールを作ることによって勝つ

 

<vol.94(14)>

p.139・140 グレゴリオ・ツェペリ

「この社会と人の心の中のありようには限界点がある “死刑制度” “延命” それは矛盾した特異点なのだ 我々ツェペリ一族は社会のその考えに立ち入ってはならない それが我々一族の役割 ネットにはじかれたボールなのだ  だがツェペリ一族は“奇跡”の存在も信じている “奇跡”が起こる事を祈ろう ボールがネットの向こう側に落ちることを」

 

→科学と信仰は矛盾しない

 

<vol.93(13)>

p.155 グレゴリオ・ツェペリ

「残念だがそれでは収まらないんだ 彼の父親は国家にとって重要人物すぎる 身分が違う“君は消される”それが世の中というものだ」

 

→いつの時代どこの場所でも大人の事情というものがある

 

<vol.92(12)>

p.145 シュガー・マウンテン

「“全て”を敢えて差し出した者が最後には真の“全て”を得る」

 

→一度、手にしたものは結果という形だけの存在になりやすい 敢えて手にしたものを捨て、所有に対する固執から開放する 再びそれらを手にするとき本当の意味で獲得することができる

 

<vol.91(11)>

p.63 ジョニー・ジョースター

「そういえば 芸術家たちやジャイロの先祖が“黄金長方形”を見つけたというなら それはどこから学んだ? “美しさの基本”とかを どこで? 彼らは誰から学んだ? 学者から聞いたり定規で計ったわけじゃあないはずだ」

 

→概念が本物なのかそれとも実物が本物なのか