ほかにも“信じる者は救われる”とか“努力は実を結ぶ”なんて言葉がありますが。
つまり、がんばればそれだけ結果に表れるってことですよね。
個人的にはこの類の言葉、あまり好きではありません。
目標としている結果に届いていないということは、己の努力が足りないってことになるとおもいます。
もちろん、切磋琢磨して、身を削ってその目標に打ち込むのはとても大切なことですし、場合によってはそうしないとならない場面もあるでしょう。
ただ、個人的には自分を追い込んで追い込んで追い込んで追い込んで追い込んでというぐらいでないと成し得ない難しいものだという表現に聞こえます。つまり、身を削るほど自分を追い込めっていうことと捉えています。
果してそこまでして得た結果は、自分が求めたものなのでしょうか。
例えば難関高校合格への受験勉強だとして。
中学一年生から、もしかすると小学生から受験勉強を始めている家庭もあるのではないでしょうか。
私はこういった人生を送ってこなかったのであくまで想像の話で申し訳ないのですが。おそらくこういった子たちは学校が終わったらまっすぐ進学塾に向かうでしょう。そして夜遅くまで勉強をして帰宅するでしょう。夕飯もそこそこに机に向かって遅くまで勉強をするでしょう。そして朝起きたらまた学校へ行って、終わったら塾へ…の繰り返しではないでしょうか。
それを指示しているのは受験生本人ですか?いいえ、ほとんどがご両親でしょう。
これのすべてが悪いとは言いませんが、人生80年として、その一瞬たりとも遊びやリハーサルのような時間はありません。1秒1秒が本番なのです。だから同じ日に、同じ場所で、同じ性で産まれてきた子であってもその人生はまったく違うものになります。
たとえば、片方の子がさっきの例のような難関校合格を目標に幼いころから進学塾に通っていたとして、片やもう一方の子は友達との、家族との時間を勉強よりも多く、大切にとっていたとして。どちらが正しいというつもりはありません。
個人的見解ですが、自分の子を育てるのであれば断然後者をとります。自論ですが、勉強は人にだまされない程度の教養がついていればいいと思っています。四則の計算や読解力など最低限でいいとおもっています。
こどもは大人が考え、感じている以上にアンテナを張っています。
大人がわざわざ尻を叩かなくても、自分で考え、自分で行動します。
たまに躓いてしまったときにだけそっと手を差し伸べる。それだけでいいのではないでしょうか。そうでなくても社会に出たら一人です。
子供のうちは大いに遊び、そこで得られるものをスポンジのように吸収しなさい。
それが我が家の教育理念です。