このタイトルでブログを書くのは2回目ですが、心理を勉強するようになって世の中を俯瞰的に見ることができるようになった。

もともと人を見ることが好きだったのもあり、この人は何か悩みを持っているのではないかとか、今日この人は何かいいことがあったみたいだ、なんてことを考えながら街ゆく人を観察していたりもした。

最近になって思うことは、集団社会、つまり会社での人間関係についてのことが多い。

 

4月に新入社員が入社して、早2ヶ月。それなりに仕事を覚えてきて優秀な人材はもうすでにひとりでバリバリ仕事をしている。

その中で新人ならではの怖いもの知らず感、悪く言えば世間知らず感が最近になってどんどんなくなってきている。会社色に染まったとでも言うべきか、社会に揉まれたとでもいうべきか。良くも悪くも感じる。

入社早々には我々の常識が通じないところがちらほら見受けられることもあった。気に食わないことがあれば先輩だろうが主任だろうが課長だろうが噛みついている奴もいた。それがこの会社ではこうだ、社会とはこういうものだなどと教育を受けてだんだんと意見を呑み込むようになった。

 

そう、自分の意見を呑み込むようになった。

 

これが良い成長だろうか。否、悪い風潮だとおもう。

確かに学生しか知らなかった新入社員が初めて社会に出て、そこで自分の考えが甘かったとおもうのは当然のことで、そうあるべきであろう。

ただ、言いたいことがあるのにその意見を呑み込んで同期同士で陰口を叩くのはいかがなものか。意見があるのならそれを直接言うべきではないだろうか。僕はそう思う。

かく言う自分はどうだったかというと、それはもうプライドの塊で上司同期関係なく言いたいことは言ってきた。いや、現在進行形。

それが間違っているのならとことん話し合った。なぜ自分がこう主張しているのか、それをなぜそう返してくるのかと。

上司先輩からしたら面倒な後輩だったとおもうし、今でもそうだとおもう。おかげで今の会社では確固たる地位を築けた。

我を通すのが正解とは言わない。ただ、言いたいことも言えない環境とはどうなのだろうか。

よく聞くのは

 

「どうせ、こんなことを言っても意味がない。」

 

「どうせ、課長に論破される。だったら言わないほうが傷つかない。」

 

あちこちから「どうせ、、、」と聞く。まさに学習的無力感。

すでに入社2ヶ月にして見なくなった顔も数人いる。この子たちは何を描いてわが社を希望し、何を感じてわが社を去ったのだろう。そう考えると一番近くにいたであろう自分たちの振る舞いを顧みないわけにはいかない。

筋は通っていなくても彼らの声に真剣に、正面から向き合っただろうか。鼻で笑って受け流してなかっただろうか。そういえば、いつから自分の意見を言わなくなっただろうか。そう考えると恐らく彼らを殺してしまったのは自分たちだろう。

友達のような師弟関係は望まない。ある程度の壁は社会人として必要。

だが、たかが数年生まれるのが早かっただけで、たかが数年入社するのが早かっただけで彼らの貴重なフレッシュな意見をつぶしていいわけではない。正直、どんなばかばかしい意見でもしっかり最後まで聞いて、その上で意見を持ってくれたことにまず目を向けよう。否定肯定はそのあとでいいのではないか。少なくとも僕はそうでありたい。