グレートマザー | 日記

日記

徒労

起床。
仕事。
うー。
口座整理。
ほっともっと。
NHKの珍妙なクイズ番組を見る。
大量連絡系統。
街へ。
車内読み始めた文庫が面白い。

日比谷でウディ・アレンの『恋のロンドン狂騒曲』を見る。
ここ最近のウディらしいテーマ、糞も黄金も含む人生を愛せ、乗りこなせ、それにしても金は必要だ。
バンデラスとワッツのAUDI内の空気、アレが出したいんだよなあ。
スィグムンドのデジタル・アンバーが新たな次元に行っていた。
渋谷に移動。
リブロで立ち読み。
もーやんでシンプルな夕食。

HTCで腐女子たちとタナダユキの『ふがいない僕は空を見た』。
ほとんど映画になっていない、恐ろしく非官能的な前半をああキツイキツイと思いながら眺めていた。
原田美枝子の引力だけがどうにか彼を席から立たせなかった。
しかし窪田正孝が登場する後半になると、この演出力も映画的瞬間を捉える力もほぼ皆無であり似非女性性を前面に打ち出す女流監督にもどうやら「映画」を用いて何か切実に伝えなえればならないことがあるようだと気づく。
なんだろうそれは。
役者たちの単調な動きを適度に追い、棒立ちの彼ら彼女らによって適度に述べられる、ひたすら暗いだけで身体化できていないセリフを通じて彼女が伝えようとしたことはなんだろう。
あまりにもしつこく、そしてあまりにも類型的に描かれる「現代日本の病巣」を切り取って彼女が伝えたかったことはなんだろう。
それは単なる現代日本に対する呪詛なのだろうか。
しかしそれは神社で軽々しく語られる「生きないでもいいから死なないでくれ」なんていう10年前に語られ一応の解決をみた台詞や字幕で垂れ流される、生命は流転するなんていう娑婆い仏教思想ではないはずだ。
ましてや、誰もが自分の人生を選択出来ないのだなんていう盗んだバイクで走り出しそうなナイーヴな主張でもないはず。
この十年で我々のほとんどはここで生き続けることくらいは出来るようになった。
しかし、我々が知りたいのはここに居続けることの痛みに耐え得る、痛みを突き抜ける方法だ。
そんな感触をもたらしてくれる映画を芸術を待っている。
そのヒントはチロルチョコとロッカーに収められていた手紙、河原を疾走する幼馴染の後ろ姿にあるはずなのだが……。
はて。
ともあれ、思考の展開力に劣っても、朧げながらも描かねばならぬものを掴んでいる監督の作品は次も見たい。
新生タワレコでOMSBを買う。
レコ屋行ってわくわくって久々なのでDoCoMoやるな。
帰宅。
残金147円。
Cと電話。
勉強。
二頭筋。

最近、特に後半をRIPってます


おまけ海洋仕事
歌詞が繊細


これがHIPHOPミュージック


映画撮るぞ


皆さんに遅いクリスマスプレゼント