では、あなたもそうしなさい | 日記

日記

徒労

起床。
昨日の「今日恋」はあの小さな試写室で何故あそこまで爆音だったのだろうか。
先日1スクで見た「黄金翔」のカット毎にばっらばらな音の定位といい、邦画界の音設定に今何かが起きつつあるのだろうか。
と考えながら両親と饂飩を啜った。
繰り返す毎日。
喉仏から長い毛が生えてきた。
油断しているのかもしれない。
苦労自慢に励む村社会なんてどうでもいいから真の成長領域で勝負したい。
日中はずっと読書をしていた。
昨日確信してしまい認めたくないが、最近もう人混みに耐えられない。
先日の浅草では生まれて初めて眩暈を覚えた。
加齢によるものなのかなんなのか。
昔一時映画館に入ることも不可になったことがあった。
あれも秋。
諸々事務作業。
窓口事業。
作文。

めまいがした浅草で推薦されたマブルク・エル・メクリの『その男ヴァン・ダム』を見た。
ベルギーワッフル的な甘ったるいお洒落を塗したベタなメタ映画だがヴァンダムがクレーンに乗って浮上していき、スタジオの照明をバックに自分の人生を振り返るショットには真に迫るものがあった。

10年ほど前に少し見たままにしてあったゲーリー・オールドマンの『ニル・バイ・マウス』を見た。
先日の「フィッシュ・タンク」と比べると猥褻なほど古臭く、決定的に事象を捉えるセンスに欠け、だからなんなんだとしか言いようがない。
ロンドンの下層民はどうしようもない日々を希望もなく過ごしていて、ドラッグ中毒になるガキや嫁に暴力を振るうデブが結構いるんだよ。
だからなんなんだ。
嫁は殴られると血だらけになり顔が膨れ上がるよ。
だからなんなんだ。
暇なデブが自分の家を破壊してみたりしたけど虚しくて、ガキは刑務所の面会時だけ家族が集合するよ。
だからなんなんだ。
そういえばヨーロッパ映画の90年代後半って黒歴史としてこの手の極めてどうでもいいリアリティを手持ちで捉えるスタイルが流行っていたように思う。
日本映画の00年代後半も黒歴史としてこの手の極めてどうでもいいリアリティを凡庸な長回しで自称生っぽく捉えるスタイルが流行っていたように思う。

今日はなんだか非常に腹が減った。
飢えていた、食物に。
よって、男三人の夕飯、容赦なく食って食って食いまくる。

念願叶いミハイル・カラトーゾフの『怒りのキューバ』を見る。
いやー、もう映像詩とはこのこと。
陶酔しました。
冒頭の船上ショットに始まりエイゼンシュテインみたいな広角仰角白黒映像のハイパー長回しが140分続きます。
1章の最後でブルジョアが貧民窟に住む娼婦から小銭と交換に強奪したあの十字架は何を意味していたのか。
超高級ホテルのダンスホールから貧民窟への飛躍が鮮やか。
そういえば超高級ホテルも貧民窟も並列に存在している現代を安っぽい現代性やらジェンダー論とやらで塗り固めて解釈されてもかなわんで。
土建屋が塗り固めんのはコンクリで充分やろ。
2章の砂糖黍畑焼き討ち、3章のデモはマジで必見。
もうホントどんだけ金と労働力かかってんの、散々資本に反対しておいて。

再び読書に戻りまして、息抜きにいつもの「ウォーキング・デッド」。
シーズン2から最早ウォークしていないw
人としてそれをやってはいかんでしょうな1本目のフィニッシュでした。
でもやっぱやるのよ、人は人だから。
人間ってそういうもんだから。
そこから目を逸らさないのがこのシリーズのホント素晴らしいところです。

で、話題の韓国映画カン・ヒョンチョルによる『サニー 永遠の仲間たち』を見ました。
これはこれは。
人としてとか言う以前の問題としてこれをやっちゃいかんでしょう。
いやーん、もうこれダメダメ。
犬猫でもダメよこれは。
道義上、教育上良くない。
これ、ここ数年でも指折りに青少年に見せてはいけない映画。
幾ら学生運動とか入れて誤魔化してもダメ。
そんなに人生上手く行かないし。
上手く行ってないしょうもない人生の引き替えに親友が死んで地位と大金入っても嬉しいわけないし。
ましてや葬式で感謝のダンスとか踊らないし。
死者の贈与に感謝するダンスってパプア・ニューギニア奥地の部族じゃないんだからさ。
セカチューとかの方が全然真摯でしょ。

読書に戻りました。
上腕二頭筋、三角筋、僧帽筋。
長々考え事。

みんな待ってた


しかしシャブ中逮捕報道有り


ゆるうま


来日記念 感心した


傑作