反米国史 | 日記

日記

徒労

この映画がはじまるのは1980年1月16日という日からだ。
ソ連とアフガニスタンの戦火が最も激しかったこの日。
ドーナツをかじりながらケンドリックとミスチルの研究。
新百合ヶ丘へ向かう。
久々のワーナー。
ビブレの大雪軒で腹拵えをしてからベン・アフレックの『アルゴ』を見る。
総合的な技術レベルで言うとアフレックはもう巨匠レベルに達していると言って良いだろう。
幾つかの脚本上の穴を除き、大変によく出来た映画だ。
ホドリゴ・プリエトの撮影もキャリアハイだと思う。
しかし全体を貫く背骨はどうだろうか。
民主党員でリベラルなアフレック、クルーニーらが作り上げたこの爽やかなプロパガンダ映画は全体に配された嫌らしいエクスキューズを剥ぎ取ると、翻って単なるアメリカ中心主義に陥っていないか。
自らの政治工作の結果として怒り立ったイランの民をテロリストどころか獣のごとく描き、自らの国の主要産業である映画を用いて彼らを足蹴にし、歪んだ正義と万能感に浸る彼らのまなざしはいささか濁ってはいないか。
エクスキューズの最たる例として即座に唾棄したくなりながらも、彼が瞠目せざるを得なかった召使いの女性は欧米人のみならず黄色人種にまで疑われるだけ疑われながらも彼らを擁護し続け、結果として「ひとり」でイラクに逃亡せざるを得なかった。
残された彼女の家族には間違いなく未来がないだろう。
彼女もそこでその数ヶ月後には八年間も続く暗い歴史に巻き込まれることになるだろう。
しかし制作者はまったくそこまで考え及んでいない。
あくまでも記号、あくまでリベラルぶった、あなたの痛みも一応描きますよと言うエクスキューズ。
野蛮なイラン人にも稀に聖人はいる、その程度の認識を持つ人間が80年代の事実を911を経てわざわざ現代に引きずり出してくる理由はなんだろうか。
アメリカはやはり英雄の国だ。
笑わせるな。
ボルチモアに帰りどういう思いを抱いているのかさえ分からない家族を前にして完全に油断弛緩しきったアフレックのしょうもない抱擁を背後から捉えるカメラは中東の名もない憎しみたちのおくるまなざしだ。
渋谷に向かい、雑貨を買って回る。
下北に戻り、SPと食事、企画会議。
まとわりつく影と闇が彼の売りさ。
楽しく騒ぎ、珍しく寝過ごした。
三太郎に無視されウェイトトレーニングをして勉強。
自己の努力の結果として努力しない他者を否定するという非生産的な回路が示すのは何。
何の努力かは知らないが、本末転倒であり寛容さからはほど遠い、つまりたかが知れる。

凄い面子


Jet Life揃い踏み
トラックがILL


もう冬だよ


デビュー・アルバムが待てないじょ