50年ぶりに東京六大学野球の優勝決定戦が早慶戦となった。
その勝ち投手となった斉藤佑樹が言い放った言葉、
「斎藤佑樹は何か持っていると言われつづけてきました。
今日、何を持っているか確信しました。
それは‘仲間’です」
もし、このセリフを今の自分が言うとしたらどうなるだろうか・・今日1日ずっと、考えていた。
「‘素敵なコウ’は何か持っていると言われつづけてきました。
今日、何を持っているか確信しました。
それは・・・です。」
問題はココである。
・「それは‘愛’です」
これは言葉の規模がでか過ぎる。感動させようとする狙いが明らかに見えてうざったい。
森田健作や近年の欽ちゃんに通じる偽善臭が強くてイヤだ。
・「それは‘エロDVD’です」
これは本当っぽいが、全くのウソだ。実は1枚も持っていない。
・「それは‘喫茶店ベローチェのコーヒー50円引き券’です。」
いや、違う!そうじゃない!
持ってる or 持ってないだけの物質的な問題じゃない。
前述の‘愛’のニュアンスを内包しつつ、わざとらしくなく押し付けがましくない等身大のメッセージ性が入っている言葉がいい。
あっ・・・・これはどうだろうか?
「‘素敵なコウ’は何か持っていると言われつづけてきました。
今日、何を持っているか確信しました。
それは‘ペットボトルのキャップ’です。」
家にやたらとあるのだ。
分別されてダイエーのビニール袋にためてある。
「ペットボトルのキャップを集めると世界中の子供が救えるぅ!!!」
そんな本当かどうか全くわからない情報を鵜呑みにし、唯一僕がやっているエコ的&ボランティア的活動だ。
ただ、これだとぜんっぜん感動できない。
しかも、これだって一応方向的には‘良い事’なはずなのに、かえって、自分の人間的セコさを公表してしまっているような感がある。
しょうがない、こう言っておこう!
「‘素敵なコウ’は何か持っていると言われつづけてきました。
今日、何を持っているか確信しました。
それは‘才能’です・・・・」
で、うしろに、
「ペットボトルのキャップを集めるための・・。」
とちっちゃくつけ加えておこう。