お願いをするということ。
信用関係に基づく「お願い」について
お願いをされた人は、お願いした人のことを、考え、思い、その日に何とかそれに応えようと精一杯取り組んでいます。
しかし、お願いした人は、やんごとなき事情でお願いを取り下げることになります。
この場合、お願いした人は、お願いをされた人の気持ちにならなければなりません。
つまり、それまで取り組んでくれたことに対する感謝の気持ちを持ち、取り下げることに対して本当に申し訳ないことをしたと思わなければなりません。
なぜなら、お願いをされた人はその日に向かって考え、思い続け、取り組んでいるからです。
さらに、お願いをされた人は一方的にお願いをした人の意思を受け入れなければなりません。
みんなお願いしたことが簡単にできると思ってるんです。
でも簡単なことなんて一つもありゃしない。
時間軸で考えると自分の努力時間と照らし合わせてしまうのだけれど、本気の人は違う。時間の流れるペースが違う。
プロが本気で考えたら、素人の何十倍も速い判断をする。そのプロが時間をかけたということは、本気で脳みそに汗かいてるということです。
この「お願いをする」という行為が信用をベースとしてからこそ、このことは成立しているということです。
お願いをするということは、お願いをする時点で「責任」が発生します。
お願いをされる側は、「この人のお願いなら一肌脱ごう」となります。
それを取り下げると言うことは責任が果たせなかったということです。
信用は責任を果たし続けるたびに積み重なっていくものです。
信用は作るまでには多くの時間が必要です。だって、そうでしょ、他人をそう簡単に信じる人っていますか?
そこに第三者が介在したときは、その人に対しても申し訳ないと思わなければなりません。
なぜならそのお願いをした人の信用は第三者の信用によって形成されている可能性があるからです。
普段の生活において、このように「お願いをする」ということについて真剣に考える必要はないかもしれません。
でも原理原則を理解した上で行動したほうが信用は積み重なっていくと思うし、間違ったことはしなくなると思います。
お願いをする側は情報を発するだけなので、簡単にできてしまいます。
しかし、された側は実現のための努力しなければなりません。
普段はこんなに真剣に考える必要はありません。
ただ、たまにこうやって考えるチャンスに出会ったときは、自分の考え方をまっすぐに修正できる絶好の機会だと思った方がいいじゃないですか。人生が豊かになりますよ。
東北地方太平洋沖地震に際して
この度の東北地方太平洋沖地震により、多くの尊い命が失われたことに、心から哀悼の意を表するとともに、被災されました方々へ心よりお見舞い申し上げます。
一日でも早く救援物資が届き、一日でも早く不安材料が払しょくされることを祈念いたします。
今回の非常事態に対して、アイデスは自宅待機の措置を取るなどしております。皆さまには大変なご迷惑をおかけいたしております。
アイデスとしては、本当であれば、飲み物、食べ物、トイレ、お子様にはおもちゃをお渡ししたい気持ちです。しかし、それもかないませんので、義援金をお送りさせていただきます。
また社員にも声をかけ募金を行います。集まった金額と同額を追加義援金としてお送りさせていただきます。
被災者の皆さまの日々の御苦労を思うと言葉が出ません。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。
一日でも早く救援物資が届き、一日でも早く不安材料が払しょくされることを祈念いたします。
今回の非常事態に対して、アイデスは自宅待機の措置を取るなどしております。皆さまには大変なご迷惑をおかけいたしております。
アイデスとしては、本当であれば、飲み物、食べ物、トイレ、お子様にはおもちゃをお渡ししたい気持ちです。しかし、それもかないませんので、義援金をお送りさせていただきます。
また社員にも声をかけ募金を行います。集まった金額と同額を追加義援金としてお送りさせていただきます。
被災者の皆さまの日々の御苦労を思うと言葉が出ません。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。
おもちゃ
おもちゃの街、ニュールンベルグにはおもちゃ博物館があります。
ニュールンベルグは600年前からおもちゃの歴史があるので、そこに展示されている品々も、まさにアンティーク。歴史を感じることができます。
今回の訪問で5回目。
訪問の度に「おもちゃ」とは何ぞやということを考えさせられます。
子供たちが社会で実生活を送るための予行練習。つまりごっこ遊びこそがおもちゃの原点であるとここを訪問する度に感じます。
非常に精巧に作られた食器や人形を見ると、リアルであればある程子供たちがそれを非常に大切にして、そして興味深く遊んだんだろうなぁと想像できます。
一方で現代のおもちゃの主流は、ごっこ遊びとは言えないものが多く、子供たちが大人になる予行演習や慣れ親しむことが、いつなされるのか、不安になります。
やはりアナログなおもちゃやごっこ遊びはとても重要だと思いました。
ニュールンベルグは600年前からおもちゃの歴史があるので、そこに展示されている品々も、まさにアンティーク。歴史を感じることができます。
今回の訪問で5回目。
訪問の度に「おもちゃ」とは何ぞやということを考えさせられます。
子供たちが社会で実生活を送るための予行練習。つまりごっこ遊びこそがおもちゃの原点であるとここを訪問する度に感じます。
非常に精巧に作られた食器や人形を見ると、リアルであればある程子供たちがそれを非常に大切にして、そして興味深く遊んだんだろうなぁと想像できます。
一方で現代のおもちゃの主流は、ごっこ遊びとは言えないものが多く、子供たちが大人になる予行演習や慣れ親しむことが、いつなされるのか、不安になります。
やはりアナログなおもちゃやごっこ遊びはとても重要だと思いました。