亡き両親の愛・・・川嶋あいさん学校建設への想い | 人生色々心は---広く

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ブログ再開しました、日々の日常生活をゆったりと綴って行きたいと思います

尊敬しそして心に響く歌声を感じる歌手の一人☆川嶋あいさん

澄みきった歌声とまっすぐな歌声が共感をよぶ

彼女は歌手以外にもう一つの顔があります


カンボジアの田舎町~建物の壁にはあい校舎の文字が

実はあいさんがお金を出して建てた学校です

あいさんは世界の恵まれない子供たちに学校を作る活動を続けています


一時的にそういう募金とか

食糧とか品物を送るという援助だけではなく

学校作ることによって 子供たちが勉強できて

将来職に就く事も出来ますし

夢が叶える事が出来る


そしてあいさん自身がなぜ学校を作るのでしょうか?

それはあいさんの生い立ちに有るそうです


本当はお母さんの子供じゃなくて 別の女の人の子供で

あいはずっと施設におって 三歳の時 養女として 川嶋家に来たとよ




あいさんが14歳の時見て忘れられない映像があり

それがアフリカの子供たち

みんな日本にすんでいる自分たちのように

安心しておびえることもなく 生活出来てると思っておられたので


まさか食べる物もなくて着る服もなくて屋根もなくて

そういう生活を送っている子供たちがいるんだというのが衝撃的だったそうです


そのこうけいは心にずっとひつかかりつづける事に・・・


あいさんは三歳までは児童擁護施設におられたそうです

養女として川嶋家でしあわせに満ちた日々を送られてたそうです

しかしあいさんが10歳の時養父の博文さんがお亡くなりになり

生活は養母のりこさんの両肩に重くのしかかる


そんな時でものりこさんはあいさんの事を一番に考えられていたそうです

歌手デビューという夢を叶えてあげようと

身をこにして働いて東京に送るだしてくれたそうです


本当に前向きで明るくてお母さんの一番の特徴みたいな感じだった

お父さんの死をきっかけに毎晩のように泣いてたし


早くデビューしてお母さんを楽にしてあげたい☆

道は中々開けず路上で唄い続ける


やっとデビューが決まった時にのりこさんは・・・病気でお亡くなりなられたそうです


母の死から一年後

デビューコンサート

幕をあけるまえ最前列に・・かざった遺影

誰よりも一番に見て欲しかった


デビュー後も支えはお母さん

お母さんの着ていた服といっしょに寝てられました


そしていつも思い返すのがお母さんとの最後の電話

その時ようやく初のお給料が貰えた日で もうこれからは

私がお母さんを守って支えていくけん そしたらその瞬間わってなきだしてお母さんが

ごめんねって言って ありがとうって言って 本当に何回もありがとうって

・・・それが最後の言葉で

あの時もお母さんの泣きながら言ったありがとうが 今もこだまして 忘れられない


あいさんの曲で~ありがとうという曲にその思いがつまってます


育ての親から貰った無償の愛

ずっと本当に深い強い愛情で育ててもらって・・・

今度返していきたいなという気持ちは

やっぱりずっとあったので

そういう気持ちで世界の貧しい子供たちに 両親からもらった愛を

自分なりの形で届けてあげたい


それが学校建設だったそうです


そしてカンボジアに建てた開校式

現地に向われたあいさんの目に飛び込んできたのは

村人がそうでで拍手 

そしてキラキラした目の子供たちが迎えてくれました


勉強して将来何になりたいの?

先生になりたい☆ 学校の先生になりたい☆

今はあい校舎は世界に4つ有るそうです


・・・売名行為だと言う方もおられるそうです~そんな事は気にしません

それでも一つでも夢がそだった方が嬉しいから

亡くなったお母さんもそう思うからぁ



番組見て・・・初めてあいさんの生い立ちを知りました

曲を聴いて心にじ~んとくる歌声に共感して

あいさんの曲は聴いてきました

心の底にあるものは見えないのでどんな気持ちで唄われているのかは

絶対分からないですがぁ

でもお母さんに対するあいさんの気持ちが凄くつまっているのがよく分かりました

そして学校建設する事によって

世界の子供さんたちが学校で学ぶ事によって違う光景が見える

そう思いました

一時ではなくずっと続けて行く事の大事さを凄く感じました



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