その頃私は、



「課長 島耕作」にハマっていた。



漫画の中で彼は部長になり、活躍していた。



その後初芝電産貿易に出向し、ワインの取引に関する仕事を始めたのである。





そして、次のようなシーンがあった。



島が言ったか定かで無いが、



「俺は死ぬ前に一本だけ飲むとしたら、レオヴィルラスカーズを選ぶ」






私はそのシーンを強烈に覚えていて、



パリのワインショップで必ず買って帰ろうと思った。



とても緊張しながらお店に入り、



びくびくしながら店を見渡すと、



うず高く並べられたワインに圧倒された。






背の高い店員が、私を見るなり微笑んで、



何かお探しですか的なことを言ってきた。



もちろんフランス語で、である。



フランス人を良く知らないが、



数日滞在してわかったのは、



彼らは英語が話せても、あえてフランス語で話してくるのである。



フランス語に誇りを持っているのだろう。



とても美しい言語だから。






私はもちろんフランス語は話せなかったが、



レオヴィルラスカーズとうまく言えれば、わかってもらえるだろうと変な確信を持っていた。



それでも笑ってしまうような発音だったに違いない。



何回か言ってみると、



店員さんが「LAS CASES?」とわかってくれた。



それは美しい発音で、



そうか、そう言うのかと笑ってしまった。



LAS CASES LAS CASES とブツブツ言ってみた。






ラスカーズの何年がいいのか聞かれたけれど、



そこまでは調べていなかった。



私は何本かの中で、



自分で無理なく買える値段のものを、選んだ。



すると店員さんは、



良いチョイスだね、



と言ってくれた。






会計をお願いしながら、



一際高級なワイン達が、巨大なセラーに並んでいるのを見た。



その中に、



それはあったのである。






赤ワイン好きなら、誰もが一度は聞いたことがある、



五大シャトーのうちの一つ、



シャトー・ラトゥール。






もちろん、当時の私は飲んだことも見たことも無かった。






行きつけのワインショップで、



マルゴーを飲むイベントなどが開催されていたけれど、



いずれも、とても近寄りがたいものだった。



それでもいつか、



手に入れてみたいと、



心から思ったのである。






私は、油紙で包まれたラスカーズをしっかりと抱いて、



ホテルに戻って行った。



そして、しずかに決意した。






私に子供が生まれたら、



生まれた年のシャトー・ラトゥールを買おう。



そして、そのワインを、



子供が二十歳の誕生日に開けよう。