私が宇都宮で伝道していた頃、殺人教唆という罪で逮捕され、黒羽刑務所に投獄された年上の囚人の方を訪問したことがあります。この方は人に猟銃で撃たれ、数十カ所の散弾を全身にうけました。銃弾の摘出はできましたが、眼球を回復することは出来ず、その恨みを返すために、殺人を人に頼んだので、罪に問われた訳です。私は当時30前の若造で、とてもこのような人生の重大問題を担う方に面会できるような、人生経験もなく資格もない者でしたが、何故かご家族の信頼を受けて、刑務所に面談してほしいと訴えられ、お訪ねしたのでした。はっきり言ってどう対応して良いか分からないまま、一回目の訪問をしました。刑務官の方が面談内容を一部始終筆記され、私もしどろもどろな話。彼の方は「無罪です」と声高に繰り返す。このような事で、刑務官には囚人の無罪を強調させただけの面談と受けられ、悪い印象を残しました。
2度目に訪問したときは、私の気持ちは面談拒否されるのではないかとビクビクしていました。待合室で呼ばれるまで、ひたすら祈っていました。すると、「まだいのちがある」(使徒20:10)の聖書のことばが心に感じました。言葉を感じるというのは妙な言い方ですが、感じたのです。直後に刑務所の奥から、カツーンカツーンと靴音高く数名の刑務官の足音が聞こえました。課長という方と護衛の方3名が出てこられ、丁寧ながらも高圧的に「当所にも牧師はおりますので、外部の牧師は不要です。お引き取り下さい」とのことでした。反抗出来ない空気がみなぎっていました。気の小さい私ですので、すごすごと引き返すのが目に見えていました。
ところが「いのちはまだある」と感じたことばが、心に留まり、青二才の私が、その刑務課長に口答えしたのです。「わたしはこの囚人の方に、ご家族からの依頼を受けてきました。また、神のことばを伝えるためにきました。どうしてもお会いしなければなりません。どうぞ、会わせて下さい」というようなことを言いましたら、居丈高の刑務課長さんが急に腰をかがめるようにして、私を受け入れ、自ら面会所に先導してご案内下さったのです。まるで、イエス様が私の前を歩いておられるようでした。
その日の面会は、囚人の方の心に深く感じるものがあったらしく、彼は二度と無罪を叫ばなくなったそうです。ご家族も、効果ある面会だったと大変喜んで下さいました。それを最後に私は、転任を迎え、次の機会はありませんでした。