アイロン台しかないちっぽけな専務所だったけど。彼は、何が"in"(流行り)なのか、それをどこで手に入れたらいいのかを知っていた。 この特別な夜 Pete と僕は、何が"in"なのかってことを論じ合っていた。Meaden や Mickey Tenner、それにあと何人かは the Scene club で、これこれを着るのはもうやめだとか、来週にはしかじかが絶対"hip" だとかしゃべっていた。絶えず変化するファッションには驚きだった。その頻度ときたら・・・。誰が考え出すのか不思議だった。 おそらくMODS の中にポリシーをつくり出す派閥みたいなものがあって、それが流行を決めてるんじゃないかと確信していた時もあった。 The Scene club の地下に秘密の隠れ家があるんじゃないかとか、でもPete Meadenはそのうちのひとりじゃないだろうな・ などと想像したりした。いま思い返してみると、そんな疑惑がいかに無邪気なものだったかってことがわかる。でも、たとえ間違っていたとしても、僕が想像したことは 60'S の MODS 全体の根源的な構成要素だったのだ。

僕は、自らMod leadersを任じるグループがあって、ほかのMODSの方向性をコントロールしてるんだと憶測していた。が、MODというムーヴメントが、実業家や柔弱な中年DJや音楽出版社、または CIA、あるいはマスコミなんかにコントロールされているとは全く思わなかった。実際そうじゃなかったわけだけど。MODS ルック全体は、彼ら 自身のはっきり定義されていない部分から現れてきた。1、2の例外的なジャーナリストを除けば、マスコミの連中は、1964年のバンクホリデイの暴動騒ぎまで、一休何が起っ ているのか知る由もなかった。総てがあまりにミステリアスで、報道価値があるとは気づかなかったってことだ。

 

 

MODS のいの一番の関心事はルックスだ。彼らは、ファッションと、常に cool であることに取り憑かれていた。外側では何が起きようと、彼らの世界は、ブティック、カフェ バー、街角、それにダンスホールとクラブが総てだった。もしプレスのやつらが MODS の世界のある一面を載せたとしたら、彼らはそれを捨ててしまっただろう。

 

彼らはわりあい裕福で、総てのお金と自由な時間を遊びに注ぎ込むことに決めてるような連中だった。ウィークデイの昼間は社会やボスや誰かしらに縛られてるけど、仕事から開放されて家に帰り、シャワーを浴び、着替えて出かける一夜とウィークエンドは自分たちのものだ。そういった総てがどんなに新しいことだったかを理解するには、60年代がいかに若々しくエキサイティングな時代だったかを知る必要がある。

 

 

TEDS

40年代、50年代の後、イングランドは停滞期を脱し、人生がいかに自由でいきいきしたものになりうるかを発見したというかんじだった。ここで、MODS がどんなふうに始まったのかを理解するためにも、それ以前の若者の中で唯一、独自のアイデンティティ を確立したTeddy Boys (TEDS)について知っておく必要がある。 50年代以前、ティーンエイジャーは独立した消賢者層として存在してはいなかった。

 

 

つまり子どもか大人のどちらかに分類されていたってわけだ。 50'S初頭には、学校を卒業すると結構いい給料がもらえるようになった。彼らは、ママにちょっと渡す以外何の 負担もなく、勝手に使える力ネがいっぱいあった。ところが、彼ら向きの特別なマーケッ トなんかはありゃしない。で、おやじさんと同じ服を着て、同じ映画を観て、同じラジオ番組を聴いて、同じ TVを見て、おまけに音楽までおんなじポピュラーミュージックって有様だった。

当時のポピュラーミュージックときたら、全くヒドイものだった。僕はいつもこう思ってた。 Teddy Boys の野蛮さに何か原因があるとしたら、それは Bill Haley の音楽じゃなくて、 50年代の音楽産業がつくり出した甘ったるくて乳臭いポップスやBBCの薄っぺらな番組のせいだと。 BBCラジオは50年代半ばまで効力のあった契約のもとに、流行歌出版界が求める通りの音楽を流していた。その頃はレコードよりむしろ楽譜の販売の方で大きなお金が動いていた。ユーロヴィジョンのソングコンテストなんかくだらないと思う人 や、50年代を忘れてしまった人は、以下のような50年代初期の典型的なヒット曲を聴いてみれば、どんなにヒドイものだったかがわかるはすだ。 Hot Diggity, Pickin'a Chicken, Bushel and a Peck, Gilly Gilly Ossenfeffer Katzenellen Bogen By the Sea, Happy Wonderer, Close the Door (They're Coming Through the Window), Oh Mein Papa, Where Will the Baby's Dimple Be?, Sugarbush, Twenty Tiny Fingers and I see The Moon (The Moon Sees Me).

 

若者たちが、大人の嫌う、自分たちの音楽と呼べるものを手に入れるまで、そう時間はかからなかった。彼らはラジオが流すプロレタリア向けの音楽を拒否し、アメリカのロッ クンロールを選んだ。この大流行はどんどん広がっていった。で、実業家がKids はお金を持っているのに使い途がないのだということに気づき、すぐにティーンエイジ マーケッ トのブームが訪れたのだった。彼らはエドワード7世のスタイルを取り入れ、アレンジした。プレスは彼らをTeddy Beys(TEDS)と名づけた。ティーンエイジャーの存在が 突然クローズアップされ、やがて「少年非行」の幕開けとなるのだった。