Richard Barnes Mods!

 

 

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PROLOGUE

僕たちはちょっぴり気を静めるために the Scene から出てきたところだった。なにしろ the Sceme ときたら信じられないほど暑くて、すっかり汗だくって感じだったから。で、 僕たちはてっとり早く涼しくなれること、つまりHam Yard あたりをうろついてほかのやつ らをチェックするなんてことをした。 the Sceneってクラブは全くのところ蒸し暑くて、換気なんかもレンガ1個でドアを開けとくっていうオソマツなものだった。とはいえ、もし1 番乗りしたら凍えそうなほど寒いところでもある。Ham Yard にはたくさんの Kids がたむ ろして、2、3人かたまってはしゃべってる。そのうち半分は薬が入ってるって寸法だっ た。 Pete Meaden あたりは、もうブルーを6個ぐらい飲っちゃてて、誰彼なしにしゃべりまくっている。こうウエストサイドストーリースタイルで指を鳴らしながら。

 

  

the scene club

 

 

こんなことは人生の中のハンパな瞬間のひとつにすぎないかもしれない。あとになって ふとした時に思い出すような。実際、その夜のことを何年かして回想するだろうという気がしてたのも確かだ。まあ、ちっぽけな取るに足りない夜だけど。 the Scene club はいつもどおりエキサイティングだった。新顔の面白いやつがたくさん来てたし、ゴキゲンなDJ Guy Steven は彼のレコードコレクションの中から珍しい貴離盤をかけてくれてい た。全くのところ、彼のR&Bコレクションはイングランド NO1だったと思う。それにしてもあの夜は、衝撃的な忘れられない夜だった。僕は、完璧なMODの生き方がそこにあると感じた。僕はすでにMODSの世界、ファッション、音楽・・・に足を踏み入 れていたけど。あの夜は、その総括的なライフスタイルや、みんながどんなにMOD することに傾倒、熱狂しているかってことがわかった。

僕自身はMODじゃないし、そうなろうと思ったこともなかった。その頃僕はアートスクー ルに通っていた。僕の MODS との係りあいはアートスクールの友だちからはじまった。 そいつは僕とフラットをシェアしてたやつで、Pete Meaden がマネジメントしてたあるグループでプレイしていた。 Pete Meaden は寝食から何から生活すべてがMODで、その時ちょうどそのグループをMODバンドに仕立て上けるプロセスにあった。僕は彼らと かなり親しかったから、当時彼らがしたことのほとんどを見たり体験したした。しまいには MODS の本拠地になったR&Bクラブにもみんなと一縮に行ったりもした。 MODの生き方は"cool"であること、そう見えることが総てだった。ありったけのお金を服に置やし、仕寧が終ったあとはクラブやダンスホールで過ごす。たまに出かけてくっ ていうんじや流行りの場所がわからなくなってしまう。ほんとに飛びっきり新しくて素早くて、僕にとってはちょっとミステリアスだった。

 

the Scene はライセンスがなかったからアルコールはなくて、飲み物といえばオレン ジジュースだけだった。どっちみち酒やタバコはあんまりcoolだと思われてなかった。 でも僕たちは酒が欲しかったけど。で、僕たちのグループは Windmill Street を夕方の人ごみをかき分けて Soho のパブに行った。MODS は歩き方にも独特のスタイルがあっ た。肩を左右に揺らし、歩幅は小さく、足をちょっと外側に向ける。威嚇的で自信たっぷりの歩き方。時にはコートの下で両手を後ろで組んで歩くので、後ろから見るとまるでボールが揺れてるみたいだったり。それからポケットに手を突っ込む時は、親指を必ず外に出していた。僕はこの特別な夜、Pete Meaden も Pete Townshend もそういう歩き方をしていることに気づいた。

僕たちは肩いからせてパブに入っていった。ここならスコッチ&コークもウォッカ&ライム も飲めるし、オレンジジュースなんかもある。Mickey TennerとPete Meaden、それらからあと誰だったかもうひとりは、飲み物も口にしないでまあよくしゃべっていたっけ。 Meaden ときたら、スコッチ&コークを何度も手に取りはするんだけど、しゃべっているうちに空をさ迷っただけでそのグラスはまた置かれてしまうって調子だった。

 

 the scene club 跡地

 

その後Pete Townshendと僕は、Meaden や Mickey Tenner やほかの連中と別れて Shaftsbury Avenue 辺りをぶらついた。 MODS やそのライフスタイルについて話し ながら。僕たちは最初に会った時から Pete Meaden に圧倒されっ放しだった。彼はイ ギリス人なのにアメリカ人のラジオDJみたいに実に早くなめらかにしゃべる。例えば、 こんなふうに。"Baby! " Hey, how are you Peter Baby, too much, wha's happening, great, keep cool, can you dig it? Barney Baybee, s'nice to see you again, OK baby?" (「ベイビー!」「ヘイ、元気かピーター、上等だぜ、どーしたってんだい、すげえな、クールでなくちゃな、わかってるよな、バニーちゃん、また会いたいぜ、OK ベイビー?」)

Meaden は息継ぎのためにしゃべるのをストップすることがなかった。彼はまるで映画 の中の誰かみたいだった。違うのは、彼がスクリーンのこっち側、つまり僕たちの目の前にいるってことだけ。彼はアイディアとエネルギーで張ち切れそうなほどだった。例のグループをカリスマ現象にしようなんていうすごいプランも抱えていたし。つまり、グルー プにはちょうど新しいマネジャーができったてわけだ。彼は Shepherds Bush に、ドアノ ブなどをつくる鋳物工場をもつ実業家だった。彼は金持ちの実業家なら誰だって Brian Epstein になれると考えている、そう僕は思った。いずれにしてもポップグループのマネジメントは、将来のためにせっせこ働くよりずっとラクに見えるに違いない。最初 Pete Meaden は宣伝係として雇われたのだった。僕たちはグループ名を数カ月前に変えたところだった。が、彼はそれをもう一度変えて、"High Numbers "と呼ぶことにした。 この名前はすごくMODしてたし、深みのあるものだった。グループのイメージや方向 性について何度もミーティングが開かれた。彼はグループを Soho No1の MOD クラブのレギュラーバンドにしようとしていた。

 

Meaden はそうたくさんお金を持っていたわけじゃなかった。少ないペイでいろいろな グループの宣伝を受け持っていた。でも、彼はどういうわけか、いつもシャープにキメ ていてシミひとつないって感じだった。たいてい新しげなジャケットと流行りのトラウザー ズをビシッと身に着けて現れたものだ。もっとも、寝起きしてたのは Monmouth Street にある、椅子ひとつと電話、寝袋、ファイリングキャビネット、それにアイロン