Richard Barnes Mods! 3
50年代には多くの変化が起った。イギリスは自国をアメリカ、ソ連に次ぐ最も重要かつ強力なものと考えていた。それは"British was Best "(イギリスはいつだって最高だった)という考え方を堅く貫き、揺るぎないものだった。自己満足と現実回避の時代 だった。イギリスはまだモーターサイクルを例に、あらゆる面で世界をリードしていた。我々 にはB.S.A.の社長ドッカー氏がいた。彼は権力の証しに自分のロールスロイスと妻の毛皮を見せびらかしていた。我が国はエジプト人を彼らの地に追い返すために軍隊を スエズに送り込んだ。が、逆に追い出されてしまった。何百何千もの人々が Aldermaston から水爆に抗議する行進をした。
Kidsにとっての2つの重大な関心事といえば、徴兵制度の廃止と分割払いの始まりだっ た。それでポータブルプレーヤーが買いやすくなったし(蓄音機は両親向き)、新しいコンパクトで便利な45回転のドーナツ盤も発売された。
ワーキングクラスにも車やテレビや洗濯機を買う余裕ができた。「僕はダイジョブだけど、 君は?」とか「こんなにいいもの持ったことない」といった時代。時の首相 Harold Macmillan の唯物論がもてはやされ、消費者ブームが起きた頃だ。その姿勢は"Live Now, Pay Later"(そういえば当時はみんなそうしてた。そしていまもそうだけど)だっ
た。
Lonnie Donnegan がスキッフルミュージックに凝り始めると、固中にスキッフルの嵐が吹きまくり、移しい数の kids が即席グループをつくってプレイした。もしスキッフルが、 音楽をつくるってことを実に多くのイギリスの家庭の、それこそベッドルームや物置なんかにまで入り込まなかったとしたら、ブリティッシュロックは60年代における世界で最も置要なものにはなりえなかったに違いない。
そんなふうに家庭の中で育っていったロックンロールスターが、50年代後半に現れはじめた。Cff Richard, Bily FurryそれにAdam Faith なんかがその代表だ。しかしまあなんて妙ちきりんな名前をつけるのか不思議になっちまうようなやつらも結構いた。 Maty Wilde とか Vince Eager とか、さっきの Billy Furry もそうだし、Cuddly DuddleyやDickie Pride, Duffy Power, それから Johnny Gentle といった連中。 彼らはみんな Larry Parinesっていう、パブリシティ意識をもった業界マネジャーの原型とも いうべき人物に操縦されていたのだった。
Teddy Boys はひどく暴力的になり、低能で、カミソリで映画館のシートを切り裂くやつまでいた。その "look "は全国的に広がったものの、すぐにすたれてしまった。 1958年あたりまでは" drape jackets"と"売春宿を遣うもの"って名前の底の厚い靴が最高に新しかったわけだけど。 この頃ティーンエイジャーの間ではイタリアンルックが流行りだした。Short box jacketプラス折り返しなしの細いトラウザーズという組み合せのイタリアンスーツを着て Winklepicker shoses をはく。
ジャケットはすごく短くて" ban freezer "(浮浪者を凍らせちまう)ジャケットなんて呼ばれたりもした。2つボタンか3つボタンで、ラペルの幅はとても狭い。ダブルでも合せはたったの2インチぐらいだった。これが初期の MODS の創始者たちが好んで、発展させていったスタイルだった。
Winkle picker shoses
新分野を開拓したTeddy Boys-一彼らは、ティーンエイジマーケットを確立し、何から何までワーキングクラスから発生したファッションを世に広めた。そして男たちに、 見せるために着ることの喜びをもたらしたのだった。それ以前にワーキングクラスの男たちが着る服といえば、作業着か、さもなければ20年前につくられた「一張羅」しかなかった。カジュアルな服は、アメリカ製もヨーロッパ製も手に入らなかったし、うんざり するような国産ものは、もっと上の階級を当て込んだ、つまりはカビ臭いマーケットのためっていう有様だった。




