3月21日 続き
亡くなった息子の同級生は、元々は、高田にいたんだけど 小3の時、お父さんの仕事の都合で 高田から車で1時間半位の所に引っ越して行った。
彼は、高田が、とても好きだった・・
転校先に馴染めかったのか・・それ以上に高田の仲間が大好きだったのか・・ 中学入学の時に おじぃさん おばあさんがいる高田の家に 彼だけが 戻ってきて 高田一中に入学し、サッカー
部に入部した。高田は、小4から スポ少として サッカー部が存在するのだが・・
息子の同級生・サッカー仲間は、ほぼ全員が小4から一緒にやってきて 親・子共々本当にみんなが親子・・家族の様なそんな気の合う学年だった。
そこに彼が、仲間入りし、家族が増えた。
彼の両親も、とても熱心で例外なくみんなと共に熱くなり、息子が出てない試合でも 必ずVTRを 回し続け・・誰よりも試合の様子をわかってる・・そういうお父さんだった。
お母さんもお父さんも
本当に柔らかく 温かさが滲み出ているご夫婦だった・・
親達も本当に絆みたいなものが 強く、サッカー部の子は、人の子でも自分の子だった。
当日は、学校を 休んでたらしく 地震直後は、年老いたおじいさん・おばあさんを 連れて 家の外に出てた所までは、見た人がいたが それ以降・・わからず・・
両親が 遺体安置所へ行った時は、 離れて暮らしているために 当日 どんな服を 着ていたか・・とか 当日の様子が 全くわからないために、 情報・特徴不足で 安置所内にも 入れてもらえなかったそうだ・・
その話を 憔悴しきった彼の両親から聞いた時・心底腹がたった

又、形式ばったおかたい役所仕事かっ


そのうちに どんどん出てくる遺体に そんな形式張った事なんて 言ってられなくなったんだろう・・
今じゃ スッカスッカ安置所内に 入れるらしい。
一度、私も主人と先輩を探すために 早いうちから
行ったが、やはり一人一人面接みたいなことをして それから中に行って 確認・・だから 待合室は、まるで超混みの病院みたいになっていたのだ・・
普通、 遺体は、柩に入っていて あたりまえに 綺麗にしてもらっていて その状態で最後のお別れで逢う・・それが普通・・っていうか・・
そういう 遺体しか 私は、見たことがない・・
父・ 母、 軽自動車2台で 父の方の 車の助手席 後ろのシート共に倒して 寝せてきて みんなに 会わせる時は、少しシートを起こして 見せられた。
アルミシートの様な物?で包まれた上に 毛布2枚でくるんで・・
赤ちゃんが おくるみに包まれてるような状態で・・元気に 走り回ってる彼
笑ってる記憶・その記憶をいきなり バスッ
と切られ目の前の彼と 対面・・
険しい顔は、してなかった。
だけど・・顔を 見たとたん声を あげて泣いてしまった。 号泣してしまった・・
顔の小さい子だったのに 顔は、腫れていて目は、線の様になってた。
大きなアザが できて 顔は、全体が赤黒っぽい色になっていた。
見れば 彼だとは、すぐわかるけど 私の中の彼とは、変わっていた・・
どれだけ 怖かっただろう・・どれだけ痛かっただろう・
あの子が・・こんな姿になるなんて・・
遺体を 搬送するのに 普通の軽自動車の助手席に乗せて・・
今 泣き崩れ落ちてる親自らが これから 遠方まで それぞれ運転して帰らなきゃいけないなんて・・
火葬場が やっぱり全然間に合わなくて 盛岡や 北上辺りまで 持ってって火葬しなければならなくて
最初、「柩・骨箱 引き取りは、各自でお願します」。なんだって・・
みんな車は、津波で流されたり ガソリンなくて 動けないのに・・
それでも 自分で動けて 一日も早く 火葬できる人は、いいさっ!!
どうしても 無理な人は、地元の火葬場で 出来ない訳じゃないんだけど・・
きのう(3/20)手続きした人で 予約日が、4月5日だって・・
驚いた・・
でも 確かにこの亡くなった人の数からしたら・・
そうなるのも 当たり前なんだなぁーと・・
それでも
何とかなんないもんなのかっ
と・・又、一人腹を 立てた。
きのう辺りから 引き上げられる遺体は、 もろ がれきの下敷きになってた遺体で・・
すごい状態だと・・
膨らんできてるのあり・・部分〃あり・・そんなの当たり前だそうだ
それなのに 4月入るまで安置所に置いといたら・・
どんなふうに なってしまうのだろう・・
やはり 土葬にななるのだろうか・・
帰り道・・
旦那とも会話がなかった・試合の待ち時間に よく遊んだり 相手を してもらった小4の娘・・
そのお兄ちゃんの死を、顔を 見ることで 理解できただろうか・・
私も 口を きく気になれずただただ歩いて 家に帰ってきた。
途中 何度も胸が苦しくなり又、何か詰まってしまったような感じになった。
胸が潰れる想いばかりで 疲れすぎちまった
また 真っ暗な夜・・の生活です(T_T)