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今日も子供まかせで♪ぐうたら幼児教育

ぐうたらママが考える、幼児教育。
「かわいい子には旅をさせろ」ということで、なんでも自分でやってごらん♪と親がラクできる幼児教育を目指してます(^_^;)

三女@小2のお話。

宿題をやらない子です、という記事は前に書いてますが。

一年生の頃からこうでしたが、二年生になった今でも変わりません(^▽^;)

そして、相変わらず私も「まあ、面倒だし、どうでもいいか」という状態だったんですが、宿題をやらないとなると少々厄介なことが。
二年生になって、担任の先生から電話をもらっちゃいました(ノ゚ο゚)ノ
しかも、「あと、三女さんが出してくれれば全員提出になるんですけど・・・」だって。

そういわれるとちょっと恐縮してしまったワタクシ・・・(´・ω・`)
まあ、見ればそうそう悪い内容の宿題でもない。その時々の授業内容の復習みたいなもんで、まあ問題としてはたいしたことないが、大量計算というわけでもないので三女と一緒にやってみるかな、と。

でね、そこで発覚したのが、三女は時計の問題が分からないということだったわけです(@ ̄Д ̄@;)

宿題も役に立つもんだなあと思うのは、こういう時です。

子どもの授業内容と、理解程度が把握できる。


時計といえば思い出すのは、次女が小2のときの、こんなこと

そういえば、2年生の頃はそんな感じだった次女も、いつの間にか普通に分かるようになってるわけだし、結局は今わからなくても大したことじゃないと、鷹揚に構えてるわけで。


(三女にどんなふうに教えたかは、またちょっとべつに書きたいです)


そんなこんなで「三女が宿題をやってない事件パート2」は時刻と時間の単元が終わるとともに収束しました。
どうも三女というのは「分からない問題はやりたくない」傾向があるわけ。


わからないなら分からないから教えて、と言ってくれるとありがたいんですが(次女は言ってくれてたので、小4の現在までつまづきポイントをケア出来た)なぜか三女はわからないことを言ってくれないんですね。

それを踏まえての今回の事件、「三女が宿題をやっていない事件パート3」がはじまったわけです。(やっと本題(+_+)・・・)



前回は時計が分からない、というのが原因だったのに、私はうっかりそれを忘れてました。

んで、朝からずっと、宿題について考えてたわけです。


どんぐり的には宿題はさせない。
でも、これは「おそまつな宿題はさせない」ということだと思っています。

では、宿題がそんなにお粗末ではない。むしろ、授業内容の把握と理解度を見るのに役立っている場合は?

宿題をしなくちゃ!という子どもから「やらなくてもいいから貸しなさい!」と、取り上げるどんぐり母さんの話は読んだことはあるけれど、みずからやりたくないからと宿題をやらない子どもは、アリ?
どちらかというと、「勉強したくない」という三女のわがままからくるものだとしたら、これは宿題はさせなくていいんだからとほおっておいてもいいもんだろうか?

家庭学習の習慣付け、という学校の大義名分を信じてるわけでもないし、家では勝手に本を読んだり、好きに机に向かってナニかを書いていたりしてるのでそれで家庭学習としては充分だとも思うんだけど、なんにも言わなくても宿題を勝手にやっている長女、次女を思うと、なんだか三女のいい加減さが鼻について、このままでいいんだろうか???なんて。




で、いろいろ考えてはなんだか腹を立ててるうちにふと前回の事件の顛末を思い出したので、学校から帰ってきた三女に(自分を落ち着かせて)やさ~~しく聞いてみたところ、

「なんせんちめーとる、なんみりめーとるとかが、わかんないんだもん・・・」




あああああ。


やっぱり(´_`。)

こんどは長さの単位かよおおおおおキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!








というわけで、センチとミリの単位のお話を今日の夕方に三女とやってみたわけですが。

これまた先日書いたひき算の筆算(繰り下がりあり)の時と同じなわけです。


どうも、もうちょっとひと手間かけた教え方をしていただけると、三女にもわかるのにな~~~~


(これまた別記事で詳しく書きたいですねえ)






さて、ここまで来ていろいろ思ったこと。

三女はなんで、わからない問題になると宿題を放棄するのか?


ていうか、それって三女がいいかげんとか面倒くさがりとか、そういうことじゃないのかも。
人間、分からないことをし続けるのは本来嫌なもんではないか。

引き算の時にも書いてるんだけど、三女は先生の言ったやりかたが理解できなかった。
それは、三女が納得できるような過程をすっとばした「解法」だったから。
時計のときも、結局はそういうことだった。
三女が疑問に感じた部分を先生は納得できるように説明していない。
今回の長さの単位も同じ状況である。

つまり、三女はなんだかわからないけど言われたとおりに数字を当てはめて答えにすることができない、苦痛に感じるわけだ。
わからない単元の問題がある宿題はやらない、やりたくないのは、もちろん苦痛だから。


わからない、納得できない算数の解き方を、先生が言ったとおりに答えを埋めていく、それが三女にとっては苦痛なのであれば、これってもしかして、

いたって正常で、健全な発育をしているってことなのではないのか?????



おもうに、長女の時に彼女が分からないまま答えを「埋めていた」ことに気がつくのが遅れたのは、分かるわからないは別として、「やっているうちに分かるようになりますよ」という某教室の方針にどっぷり浸かっていたせいで、わからないけど答えを出す、言われたままに数字を操作するのが勉強だ、というふうに彼女自身が勘違いしたままだったからだ。
そこに分からないからやりたくないとか、理解できないからヤダという感情そのものを否定し続けて小3まで育ててしまった私自身のせいでもある。

きっと、彼女は「分かる」とか、「理解する」とかいうことそのものすら、わからないのかもしれない。



いまごろ気がついても、しかたないんだけどねえ(T▽T;)



いやいや、しかたないってことはないか。
三女がいるではないか。


何となくいつも思うんだけど、三女は長女によく似ている。わからない部分がどうわからないのかが、同じである。そして、そのポイントが私にとっては非常に分かりにくいところがよくにているのだ。(次女はちょっと違って、私にとってはわかり易いコドモである)
だから、三女を見ていると、もういちど長女を育てなおしている気がするのだ。

長女の時にはどう説明したら理解してもらえるのかが私にもわからなくてお互いにイライラしっぱなしだったけれど、二度目だからこうしたらわかるかも、そうか、こう言えばわかるんだ、というのがよく見える気がする。



長女のためにも、三女はしっかり対応して育てたいなあと思うきょうこのごろなのでした・・・(´□`。)












さて、そういったわけで、またも宿題やらない事件は無事に収束しそうです。

っていうより、いいかげん担任の先生と宿題の交渉をしてみようかなと、ふんぎりがつきました。(おそっ)

ちょうどいいことに、あすは小学校の参観日です。

行ってきま~~す(・ω・)b