幼児から小学生にかけて、あまりさせたくないものの第一位がドリル、プリントのたぐい。
確実に勉強嫌いの道へ進みます。
(長女で実証済み)
以前は二女に七田のプリントをさせていたこともありましたが、嫌がった時に気がついて、ホントに良かったな~~というのが実感。あれを無理にでも、ご褒美を駆使しても、叱りつけてでもやらせていたら確実にいまの二女のように「お勉強を楽しむ」姿は見られなかっただろうと思います。
早期教育界では、インプット、アウトプットという言葉がよく見られますが、
その意味ではドリルやプリント、はたまたテストというのは、まさしくアウトプットそのもので、
問題を数多くこなすことは、ぜったいにインプットにはなりえない、というのが、私の結論です。
幼児や児童期の子供は、体験からしか学ばないからです。
ちょっとまえに、二女に指折り算 を教えました。
その後も、楽しかったのか、なんども「問題出して
」とねだられます。
しょうがないので「3と、4は?」「5たす5は?」などと問題を出してあげてたら、先日はついに、「たすってどうかくの?」と聞かれました。
長女がやっているように、計算式を書いてみたくなったようです。
で、「+」の記号と、「=」の記号を教えたら、自分で紙に
3+4=7
5+5=10
などと書き始め・・・![]()
これはでも、一度やっただけで納得したのか、その後は書いているのをみかけません。
が、つまりインプットが終われば自然にアウトプットへ自分で進めていく、ということです。
たしか、ドーマンの本で読んだのかもしれないですが、インプットが終わってもムリにアウトプットをさせてはイケナイということ。
ドーマンのドッツや読み方の教え方には疑問がありますが、アウトプットをムリさせてはいけないことには同意です。子供が嫌がります。
でも、不思議なことに家庭保育園でも3歳を過ぎたらアウトプットを即しています。
1日8枚しなくてはならないプリントがあるんです。
でも、ちょっと待って!
本当に、子供は3歳までにインプットがすべて終わっているんでしょうか?
私にはとてもそう思えません。
むしろ、3歳以降、小学校へ入って卒業するまで、インプットは続く。
一度、小学校のすべての学年の教科書を読んでみることをお勧めします。
その中には、日常的に生活していることで出会える事柄ばかりが並んでいることに気付くと思います。
つまり、小学校へ行かなくても、小学校で習う事柄はすべて、日常的に体験できることなんです。
でも、3歳までにふつうは分数や割合などの実感を伴った体験は出来ない、ですよねえ。
プリント学習を始めた子供によく言われる現象に、「貯金を使い果たした」という現象があります。
始めたころにはとてもよく出来てどんどん進んでいった教材が、進むにつれて分からなくなっていく。理解が出来なくなっていく。
これは、まだまだインプットしなくてはならない時期に、アウトプットすることにばかり時間を割いてしまったのですから、インプットが途中で途切れてしまっている、量が足りない、ということになるのではないか。
四則計算ぐらいは幼児でも体感できるかもしれないですが、時間をともなった速度や割合などは、小学生になってからの体験がモノを言うはずです。
そして、体感がともなわないことは子供は理解が出来ないし、理解が出来ないことをいつまでも続けさせられることは大変な苦痛を伴います。その苦痛は、劣等感へつながります。
残念ながら、今の小学校は公立であっても、アウトプットを大量にさせる教育がおもになっています。
というか、そもそも学校というのは、アウトプットの仕方を教わるところであって、けしてインプットする場ではなかったのかもしれません。
私自身の経験を思い出しても、小学校で習ったことは「すでに体験していたことを系統だって説明をしてくれる場」でしかなかった気がします。
けれども、今現在のこの社会に生きている限り、小学校へ行けば確実に読み書き計算の徹底が行われます。もちろんそれに反対していくことも必要だと思います。どんぐり倶楽部で言う「自動宿題しますマシーン」の稼働などです。先生に直接抗議していくことも可能です。
それでも、理解を示してくれる先生はまずいません。
何も知らずに小学校入学を迎えてしまうと、突然の環境の変化に子供はついていくことができません。
どんなに親が努力しても、「学校へ行くことで勉強が嫌いになってしまう」という事態になることもあるのです。
こんな世の中で、自分の子供を守っていく方法は。
少しでも、苦痛を伴わないで文章が読める、字が書けるようにしてあげておくこと。
足し算引き算、繰り上がりや繰り下がりの計算が、授業を受けた時にすでに自分の体験をともなっていて、すぐに納得できるようにしてあげておくこと。
そして、これからも、体感をともなった納得につながる経験を、自分たちの思い思いの遊びの中で発見していく時間を充分に与えてあげること。
そんなことが、だいじなんじゃないかなあ、と思いながら就学前の二女を眺めています。