地アタマのいい子、ではない子供たちの将来 | 今日も子供まかせで♪ぐうたら幼児教育

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「かわいい子には旅をさせろ」ということで、なんでも自分でやってごらん♪と親がラクできる幼児教育を目指してます(^_^;)

このところずっと「地アタマのいい子」のことを考えてきたわけですが、実際にはそういう子どもたちは(たぶん)少数派です。べつに統計があるわけではないのでどれくらいの割合なのかは知りませんが、大多数は「そうではない子」に当たるとおもっていいのではないでしょうか。


長女が中学になりましたが、中学校の定期テストの成績表には自分がどこの位置にいるかを把握するために学年全体の成績分布が付いてきます。

それをみていると、我が子の成績もさることながら、全体的に目も当てられない状況であることが分かってしまいます。



数学に限っての話ですが、90~100点を取れる子は学年でも2~3人がせいぜい。


おそろしいことに平均点は30~40点程度で、35~40点取れていればAクラス(学年の半数)、20~30点程度でBクラス、補習などで先生に重点的にかまってもらえるCクラスはどうやら10人程度。



テストの内容をよく吟味したわけではないのですが、

おそらくこの点数ではAクラスとしてまともな授業を受けている子どもたちのなかでも、大半は「数学を理解できている」とは言えない状況ではないのかと思っています。




中学校の先生も、ほんとうに大変だと思います。




よく、中学校の先生方は「小学校で学ぶべき四則計算でさえ、まともに出来ない」という苦情?を小学校におろし、では小学校では四則計算ぐらいはまともにできるように指導をする、という形式があるのだと思うのですが、

重要なのはじつは「四則計算が出来るかどうか」ではなく、「四則計算を理解し、自在に使えるかどうか」なのですが、どうもここのところをわかっている先生方はいないのではないかと疑ってます。


小学校の授業で四則計算を必死に教えたとしても、その時はできるのに時間が経つとできない、忘れる。あるいは少し形式が変わるとできない子どもたちは実はたくさんいます。

もしくは四則計算はできるけれども、文章問題となると???になってしまうなど・・・

なぜか?


もちろん、本質的に理解できていないからです。




小学校の授業を受けているだけで本質的に、直感的に、算数の内容を理解できるこどもは、私は「地アタマがいい」んだと思っています。ではそのほかの子どもはどうしているのか?


本質的な部分がわからないまま、たしざんの繰り上がりができない子供に、やっきになって「とにかくこう書いて、足せばいい」という教え方になってないでしょうか。


やり方を教わった子どもはなぜそうなるか、深く考える時間もないままに教わった通りに「作業」をくり返してなんとかこなす。とにかく今与えられたプリントを答えで埋めなければならないし、家に帰ればまた宿題としてもらったプリントを埋めなければならない毎日なのです。

2年生になれば「九九」がまってます。

どうしてそうなるのか、理解してなくてもプリントは大量に目の前に現れるので、やみくもに言われた通りに覚えた通りに答えを書いていく。

少々記憶力があったり、「作業をただくりかえす」ことに抵抗のない子どもはたとえ本質的に四則計算を理解してないとしても、見た目にはなんの問題もなく、とりあえず「まあまあの成績」の子どもとして中学校へ送り出されてしまうわけです。





さて、そして中学校ではどうなるか?


数学は基本的に数を本質的に理解していなければ、理解できないものだと思います。

だって、数学は数の本質を学ぶものでしょう?

与えられた方程式は解くことができても、文章問題から方程式を立てることができないという事態になるわけです。




小学校の算数で、数の本質をつかめないままであったら。

そもそも「本質とはなにか?」という学習全般にとって大切な部分をおざなりにしたまま中学生になったら?



なぜ、有名私立中学がこぞって入試に、とくに算数で「難問」を出すのか。

優秀な子どもが欲しいからではないんですよ。たぶん。


「本質とはなにか」がきちんと理解できる土台ができている子どもが欲しいからです。

それがわからなければ、中学校以降の学習は無理なのではないでしょうか。

(むろん、また小学校の時と同じように淡々と「作業をこなす」ことで切り抜けることはできるかもしれませんが・・・)




有名私立じゃないから、公立校だからわからなくてもいい、なんてこと、あるでしょうか。

人としてこれから先の学習を進めていく、卒業して社会に出ていく、はてはその後の人生を送っていく、すべてにあたって、もっとも重要なことではないでしょうか。

ほんの少数のエリートだけが持っていれば良いという能力ではないはずです。

すべての社会生活をおくる人たちが自分たちの社会について知り、考えなければならない。そのための力を平等に与えるための「公立校」ではないのでしょうか・・・




公立であったとしても、小学校でできることはまだまだたくさんあるはずです。

小学校の先生にこそ、わかっていただきたいと思うのです。