沈黙 サイレンス | もこもこブログ~のんびり育児生活中~

今年一発目の映画鑑賞@映画館UMAくん

 

 

マーティン・スコセッシ監督、遠藤周作原作の「沈黙 サイレンス」を鑑賞。

これ、凄くよかったです!!

 

 

170分という事で疲れるかなーと不安だったけど、見終わってみたら全然長さを感じなかったことに驚き。

アクション物ではないので派手な演出は無いし、「沈黙」というタイトルを大事にしたからなのかバックミュージックもほぼ無し。

エンドロールも波の音。

 

個人的に隠れキリシタンのことがタイムリーだったこともあり、いろいろ考えさせられる作品でした。

原作も読みたくなった!

 

映画内では、日本のキリシタンは物質的なものを求めがちだということが言及されます。

十字架とか、パードレ達が持っているものを欲しがるんですよね。

セリフ等では触れられてなかったけど、何度も「告解」の場面が出てきます。

村の人々はパードレが来たことで「やっと罪の懺悔ができる」と喜び、何度も「転ぶ」キチジローも何度も罪の告白をしに来ます。

 

「神とは何か」を考えたり、神と向き合ったり、という部分よりも、「十字架というものを持っていることで信仰心を表すことができる」あるいは「神と繋がる事ができる」、「罪を犯しても告白すれば許してもらえる」と感じている人が多いという雰囲気があるという描かれ方だと感じました。

パードレがいない時間があったことで信仰が間違って伝わってしまったり、「沼」と表現される日本特有の性質の影響なのかも。

 

信仰って何なのか、集団の中で自分の意思をどう持つのか、キチジローは卑怯者なのか、「形だけでいい」という役人の描き方、などなど、凄く興味深かった。

 

そして素晴らしいのは日本の描き方。

全く違和感が無い。

普通の時代劇。

これをイタリア移民のアメリカ人が撮影したって驚愕。

パールハーバーは笑っちゃうレベルだけど、日本人が主要キャストだったラスト・サムライでさえも「?」という部分があったのに、今回は本当に素晴らしい。

建物や着ているもの、景色や風俗が完璧だと思った。

監督のこだわりもあるだろうけど、段々日本人が表でも裏でもハリウッドで活躍してきた影響もあるんだろうな。

 

言葉も然り。

日本人は基本日本語だけど、簡単な英語も話せる。(本来はポルトガル語だけどそこは違和感なし。外国語ということで。)

そりゃキリシタンなら教えを受けるときに少しは覚えるよね。

勿論時々通じないときもある。

例えばテルマエロマエは、上戸彩が片言ラテン語話していたのは1分ぐらいで、いつのまにかスラスラ通じるように(しかも日本語で)なっちゃってた。それなら最初から通じる体にしちゃえばいいじゃん。

そんな違和感が無い、ちょうどいい表現だったと思う。

 

これをカトリックの人はどう見るのか聞いてみたいな。

 

 

 

忘れないうちにつらつら書いたけど、ホントにいい映画。

おすすめです。