被災地、石巻市に入ったのは、10月1日の朝8時。
震災が起きたとき、
毎日というほど流れたリアルタイムの様子も、
半年経つとほとんど映らない。
半年経った今、どうなっているのか想像できなかった。
高速をおり、市内へ向かう。
気がつくと、周りに数件の家が見える。
正直、言葉が出なかった。
どんな言葉も軽々しく感じた。
昨日まで、普通に過ごしていた町が、
一瞬にして消え去った。
人も、家も、何もかも。
そんな状況で、
どうやって前を向いて生きているけるのだろうと、
本当に切なくなった。
実際、震災のお話を聞いたとき、
話をしてくださった方の目に涙だあった。
「さっきまで一緒にいた夫さんが振り返ると波に呑みこまれてしまった」
「津波を見たとき、怖くて死ぬ思いで逃げ、2・3日救助を待った」
「今でもほんの少しの地震でも子供たちは、そっとそばによってきて、触れようとする」
「津波で一緒に住んでいた祖母を、家で亡くしたので、家には帰って来れない」
元気に生活を立て直そうとしている方も、
「津波で姉を亡くし、夜、なかなか寝れない。
最近は薬で寝るようにしているけど、2~3時間で目が覚める」
とおっしゃっていた。
体感していない私には、その本当の怖さやいかに苦しいものかわからない。
でも、本当に言葉にできない「悲痛の声」を感じた。
30年以内に起こる可能性が高い“東南海地震”。
松阪は震度6強。津波の到達時間は、58分。
その間に、自分たちができることはなんだろう。
他人事ではなく、
今を生きる私たちは、東日本大震災の傷を受け止め、
自分たちに生かさなければ。
お話を聞いた中で、とても驚いたことがある。
「昔に津波を受け、それを語り継いでいたところは死者は少なかった」
民話は、そこに伝わる言い伝え。
本当に意味があるのだと、改めて感じた。
三重にも、過去に大地震や津波を体験しているはず。
「温故知新」やないけど、調べてみたい。
「復興」は大切なこと。
でも、何十年、何百年と営みのあった地が
消えてしまったら、
半年や一年で町が回復するわけではない。
本当に長い年月をかけ、作っていくしかない。
その上で、短期集中での支援ではなく、
長期継続的な支援ができる取り組みが必要に感じた。
自宅に帰ったのは、10月3日朝4時半。
そこから2時間寝て、仕事へ向かった。
スケジュール的に簡単なものではなかったけど、
すごく貴重で、学びの多い2日間やった。
帰ってきてから、早3週間。
より、しっかり考えていきたい。













