榛名神社行ってきた。






山岳信仰という概念を納得させる場所だった。



人がつくった建造物よりも、自然の力で削られた岩の形や、流れ落ちる滝に目を奪われた。


言葉にしてしまうと、私のつたない語彙力でつくられてしまう世界の中に、今日受け取ったことを閉じこめてしまいそうになるので、ここまでにしておきます。


一緒に行った友達も気兼ねなく話せる存在だったからこそ、よかった。


目的は違えど、感じ方が一緒の友達。












Android携帯からの投稿
久々に体調をとことん悪くした。



そしたら、そーしたらっ!

今、そのことしか考えられなくなったのです。

過去とか未来とか。

記憶とか将来とか、普段あれほど意味もなく考えていることが全く浮かんでこなくなって、もう今の私自身の体ととことん向き合うしかできなくなった。



どこがどう、いつもと違うか。
健康な状態と比べて比べて、意識をそこに集中するしかできなかった。


一昨日より昨日、昨日より今日というように少しずつ元に戻っていく治癒の過程にもじっくり向き合えた。



苦痛を伴うと、体の反応がするどくなって、今その瞬間の感覚だけがとてもなまなましく感じられる。


今だけを生きることが可能になる。

今に向き合うしかなくなる。






辛いだけの自分を見つめるのは大変だし、どこまで悪くなるか不安だけど、治癒の過程を見ていくのは楽しい。



Android携帯からの投稿
誰の中にでも存在している聖域。



夕焼けを見上げること。


仏壇に毎日お線香をあげること。


花の世話。


友達に手紙を書く。


写真を撮る。


料理。




さまざま。





私のはなんだろう。


思っていることを綴ること?









日常の中に必ず潜んでいる。


砂漠にオアシスが密かに存在しているのとおなじこと。



たいせつなものは目には見えないけれど、全く見えないわけではなくて、芯の部分は隠れていても、そこに通じる花びらはどうしても鮮やかにまわりに見えてしまう。


それが私たちを形成するもの。

それは聖域というのかな?















Android携帯からの投稿
久しぶりに下北へ。


いつ来ても思うけど、不思議な街~。




かっこつけてるわけでなく、老若男女誰もが自由に動き回れる街。



でも私はそこまでは好きになれないかなぁ。



ありがとう。

ごめんなさい。

愛しています。

許してください。
















Android携帯からの投稿