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曇りときどき晴れ 認知症の母のこと

認知症の母のことぽつりぽつり書いていこうと思っています

母はお買い物が好きでした


日々の買い物や孫のためのおやつなどちょくちょくスーパーへ出かけたものです


しかし問題が起こります


母「今日買い物へ行ったときどこに車をとめたかわからなくなっちゃって、人に聞いても私が車をどこにとめたかなんてわからないしさんざん探しちゃった」


買い物袋を手に持った母が駐車場で途方に暮れる姿を想像して涙がでそうになりました


さぞ心細かったのではないでしょうか


でもまだこのころはおかしいなと思っただけでした


病院へ連れて行こうと思ったのはもう少しあとです



母は若いころの写真を見ると、娘の私がみてもなかなか綺麗だったのではないかと思います


私は残念ながら父親に似ています


田舎の暮らしですので垢ぬけてはいませんが、大きな瞳を持ち鼻筋が通っていて、授業参観に母が来る時は嬉しく思いました



私が高校生のころ、父は単身赴任をしておりました


父は決して女性から人気のあるタイプではないのですがそんな父の浮気を疑っていました


そのことを高校生の私に毎日のように話すのでした


私も多感な年ごろでしたので、真に受けて父と母が離婚するのではないかと心配したものです


それがほぼ母の妄想だったと知ったのはつい最近のことです


認知症の人は発病前の若いころそういった妄想をする人がいるそうです


父が浮気しているのではないか、他の女性とよろしくやっているのではないかという妄想は現在も続いています(笑)


しかしんなんといっても被害者は父です


ツアーで知り合った女性と何通かメールのやり取りをしていたら母がその方へ電話をして二度と連絡を取らないでほしいと言ったそうです


メールぐらいいいと思うのですが・・・


父は大変だったのではないでしょうか

私が一番最初に母がおかしいなと感じたのは2009年の春でした



それから6年弱

病気の進行が早かったように感じます



上の娘が体調を崩したので救急外来へ連れて行こうとしていた時でした


下の娘のピアノのレッスンのお迎えを母に頼んで出かけました


病院から戻ってみると母と娘は会えなかったようでした


娘は待てど暮らせどお迎えが来ないので歩いてとぼとぼと家に帰ってきたようです


そして母は延々と中学校で孫の帰りを待っていたのでした



その時は変だなと思った程度でした



母が聞き間違えたのかなと思ったりしていました


しかしそれから次から次へおかしなことがおこっていきます


思い返せばその何年も前から・・・母が50代のころから兆候があったのです