オッチャン グァテマラから世界へ! -16ページ目

オッチャン グァテマラから世界へ!

2015年4月より、念願だった個人による海外渡航に、チャレンジです。その時は55歳。グァテマラでスペイン語の学校に通い、その後9南米に向い、数ヶ国を巡ってから台湾で新年を迎えることに。次の海外長期旅行に備えて仕事しています。

9月16日 月曜日
京都で生活しています。



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先週の話の続き です。


9月7日 土曜日に弟から電話があって 


前々からの計画通りに、これから母を連れて九州へ飛行機✈️で行く、とのこと。


父親も翌週には弟が寝台車で四国から九州へ連れて行ってくれる。


(本当に彼は私の弟にしておくには勿体無いくらい優秀ですわ、、、)


その間、私は日曜日には昔の教え子と同僚との飲み会


夜遅くまで男3人で下ネタを交えて歓談!なんてこと‼️


火曜日には、この夏実家に帰った際に


高校時代の友人の歯科医から内科の医師に診せるよう、言われていたので


久し振りに自分のホームドクターの所へ行きました。


そしたらさらに、耳鼻科の専門医に診てもらった方が良いとのことで


近くの耳鼻科に出向くと、


『副鼻腔炎、蓄膿症』と言われました。


夜に  シャーロンに報告すると


まあ次から次と病気になってと、、、呆れてました。(笑)


さらに木曜日にはCT検査のために病院に行くことになりました。


翌日金曜日に耳鼻科で『歯性上顎洞炎』と診断を受けて薬を処方してもらいました。




そんな日常を送っている一方で


弟は9月12日木曜日、私がCT検査を受けているその日に


父親を寝台車に乗せて1日かけて四国から九州へ移動してくれていました。


当初不安がっていた母親も 父が移動すると聞いてから少し安心したようでした。



ただ誤算だったのは四国からそのまま九州の施設に入所となるはずだった母親ですが、


施設へのベッドの購入が間に合わず、


(内部の備品やベッド🛏は、自分たちで購入する必要があるようでした)


入れるはずだった施設に泊まることができないため、


急遽 かねてより私たち親子に協力してくれていた(母方の)従兄弟の家に泊まることになりました。


というのも弟は単身赴任で生活していますので部屋がさほど大きくもなく


母親を寝せるスペースもない。


従兄弟は奥さんも含めて最初から私たちに色々と世話をしてくれていたのです。


従兄弟の奥様も含めて


「おばちゃん、早く九州へおいでよ!」と言ってくれていたのです。


で、この週末9月14日土曜日に母の施設にベッドが入るまでの間


母親を 従兄弟の家に預かってもらうことになりました。


(金もない、力もない、甲斐性もない長男は本当に情けなくて、、、トホホホです)


一方で 父親が倒れる頃には少しだった母の痴呆の度合いが、


四国の大学病院の検査では『中程度の痴呆』となってました。


それが日に日にひどくなっていくようで。


まだ8月のある日には四国にいる母に、朝電話で話した数時間後に、


再び母親から電話があったので、どうしのたか?と尋ねると


玄関のドアの暗証番号を忘れたので教えてほしい!とのことでした。


実家の家はそこそこ大きくて外の門扉から玄関のドアまでは7、8メートルはあります。


門扉の内側に入ったものの、玄関のドアの前に立ち尽くしてたら⁉️


と思うと、ゾッとしました!


それから私が、9月に入ってすぐに実家に行った時にも


「銀行の通帳をキャッシュコーナーに忘れてきた!」


となって近くを探し回ったり、


日曜日だったので慌てて通帳の処理を頼むため 銀行に電話したり、


している最中に母親が「ここにあった!」と言うもので、


ホッとしたり。




そんのこんながあって弟もかなり必死になって、


母親を受け入れてくれる施設との交渉をまとめたようでした。


それで9月14日土曜日のベッドの搬入とともに


施設への『母親の引っ越し』が 決まりました!


(そうだな、と軽く考えていた9月の第2週です)





写真は  シャーロンが日本を離れる時に作り置きしてくれたものを使って私が作りました。


少し残念な形になっていますが、十分美味しくいただきました。


では、また。