2019年9月15日曜日
京都で生活しています。
その シャーロンが帰る前に私の食事を作り置きしてくれています。)
8月31日土曜日に シャーロンが台湾に帰るのを見送ってから
授業準備をして、その後実家に帰る準備をします。
家庭教師の仕事をそこそこに終えて、
予約してあった21:20京都駅八条口から出発の夜行バスに飛び乗ります。
9月1日日曜日の早朝に四国に到着しました。
何故急に実家に行くことになったかというと、
その前の週に弟の家族が現在独り住まいの母親を訪ねた時
私の勘違い(母親が9月1日に転居すると思ってた)で、
「会いに行くよ!」と言ったので、
弟から「母さん、 兄さんが来るの期待しているみたい、、、」と言うので、
慌てて実家に戻る計画を立てました。
少しだけ仕事にも支障をきたしましたが、
今はそんなこと言ってられないのが実情かと思って、
四国に行くことを優先したわけです。
実家には2日間泊まって9月3日の夜行バスに乗って今度は京都に戻ります。
その3日間では世話になっている税理士、
母親を見守ってくれている民生員の方、
毎日弁当を配送してくれている会社とかに連絡をつけて
挨拶したり、現在進行している話とかを伝えます。
そうやって 京都に戻った夜から仕事がありましたが、なんとかこなせました。
毎日の決まりきった仕事をこなすより、
バタバタとして『私、大変です‼️』としている自分が大好きみたい、です。(笑)
そして私の日常に戻っている時には
今度は『我が優秀な』弟が、
(そんなこと彼に向かって直接 言おうものなら「やれる者が、やることやらないと!」と、
かなり切れたように返してくる弟です。(笑))
母親の九州の施設への入所の手配と
父親の同じく九州への転院を今いる病院とやりとりしながら
手配してくれていました。
(本当に この頼りにならない長男(私ですが、、、)だけだと路頭に迷ってました。)
そうしてしばらく毎朝母との電話のやりとりをしてました。
(かなり感慨深いものがあります。
というのも3、4年前までは両親とのやりとりは勿論、
正式には 私の住所さえ伝えてませんでしたから、、、
当時まだ彼女だった シャーロンが毎日のように
「お母さんに電話しなさい!」と言い倒して、
数ヶ月の後やっと 重い腰を上げた私がなんとか電話したものです。
それからは徐々にやりとりをするようになって、
それからも シャーロンに言われるまま ほぼ毎月に1回母親に電話していたお陰で、
正月には帰省もしてましたし、
『母の日』にはカーネーションも送るようにもなりました。
そうして 今回の『父親が倒れた』時に私にも電話があった訳なのです。
うちの奥さんに説得されて実家とのやりとりをしてなかったら、、、、
ゾッとします。
多分、昔の私だったら『父親が倒れた』と言われても、
別に、、、くらいの感じだと思います。
そしてその後何十年か経って、自分が死にそうになって、
初めて両親の苦労がわかった!のかもしれないです。
だからこそ本当にうちの嫁さんには感謝しています。)
そうやって9月7日 土曜日に弟が母親を迎えに行って、
弟が住んでいる近くの施設に入所させるために
九州までの飛行機に乗せて行く、という連絡がありました。
それが先週の話です。
少し長くなりましたので。
では、また。
