4月って、こんなに暑かったですか〜 この調子だと真夏が思いやられます
、、、で本たちですが、先ず
もちろん、何度も書いているように図書館本ゆえ、帯はついていない。
この帯って無い方が良いんじゃない〜と思うけど、買ってもらうためには付けといた方が良いのかなぁ
正直なところ、読み出しから重たくって、読み続けるかどうか迷ったんだなぁ。そんなことを考えると、帯での「ラスト5ページで世界が反転する!」と云うのは効果的なんだろう。
交通事故で愛娘を亡くし、さらに時効が切れた5年後に妻は自死してしまう。
二人を喪ったうえに肺癌を告知される主人公。
DVを受けている万引き女を、亡き娘と同じ歳だということが分かると他人には思えないからか金銭を援助したり、無碍にはできなくなる。
自己満足だと思いつつも、母子家庭で育つ姪に欲しいものを買い与えたりしてしまう。
そしてラスト5ページで、あまりにも酷い現実が。。
この結末が、双方にとっての収まりどころだったのだろうか〜
、、、と、ここまでが前回借りた本たち。
今回は、青木奈緒さんを手にとってみた。
有吉玉青さんを読んでから、作家さんのDNAと云ったものを感ぜずにはいられない。
お祖母さまが幸田文氏、そして曽祖父は幸田露伴氏、お母さまが青木玉氏と。。
生意気盛りの若かりし頃に、(背筋を伸ばして)幸田文さんを数冊読みました。
さらに生意気言わせて貰えば、、、お祖母さまの気骨がすこし薄らいでいるようでいながら、脈々と感性は受け継がれているのだなぁ〜と。。
人や情景の捉え方、描き方は、さすがとしか言えない。
阪神大震災、中越地震を捉え、被災後の人の歩みに思いを馳せる。
ここに関しては、"あとがき" に祖母幸田文が晩年に書いた「崩れ」を挙げている。
"日本の崩壊地を見て歩き、この国がいかに災害を起こしやすい地質の上に成り立っているか、自然の崩壊に自分(祖母)の老いを重ねていた" とある。
幸田文氏が切り込んだところを、時を経て、青木奈緒氏が取りあげる。
残念ながら、日本という国はまだまだ地震からは逃れられない。。
図書館で、ふっと手に取る瞬間って何なんだろう。
勘〜? もちろん、その後でざっと検索はするのだけれど。。
、、、と云うことで読み始めました。
初っ端から、やたらに詳しい色のハナシが出てくる
えぇーっ、選び間違ったかなぁ〜などと思っているうちに、ハナシは深まり舞台が天草に移ってからは、どれだけ惹き寄せられたか〜
隠れキリシタンの地である天草の歴史と人々、色覚異常が徐々に迫る写真家の実態と心情、芸術を愛する者たちの交流が美しい。。
もう後半は涙腺ユルみ過ぎて、かなわんかったー
作者は、演出家であり脚本家でもあるからだろう。うま過ぎるんだわ、その辺が。。
各章には色の名前や色にちなんだ名前がついているが、最終章は "バディーア・ア・パッシニャーノ" という村の名前になる。
そこで主人公海咲の顔を見つめる晶太郎の "チェスナットブラウンの瞳" というくだりに、そうなんかーとプロローグに戻りことになる。
ライカ、良いよなぁ
「武者がよか」と云う熊本弁が心に残る。。
、、、で、前回にかなりの衝撃を受けた古谷田奈月氏
正直なところ、まったくゲームはしないので付いていけず、チャット部分はほとんど飛ばしました
それでも、フォーカスしている部分は明確なので読み続けたわけです。
"かわいい" がキーワードになっている。
"かわいい"からペットを飼い、"かわいい" と思えるから引き寄せられる。
人間の都合でペットにしていることが動物からしたらどうよー 同じ思いで子どもに接して小児性愛者としてはじかれる、、、とは児童福祉の専門家、黒岩文子のことば。
出版社で編集している主人公橘は彼女の理解者であると同時に、フィールダー(当事者)でありたいと思っている。
橘がゲームに癒されるなかにも、"かわいい" と思える存在がいる。
の帯にあるように、児童虐待、小児性愛、希死念慮、ルッキズム等々が語られる。
たしかに、混沌と矛盾にまみれているのは事実だろう。。