有吉佐和子さんのお嬢さんである下差し

20代半ばに、初めて有吉佐和子氏の「紀の川」を読んだことを思い出す。

ちょうど結婚を機に大阪に来る前だったなぁ。

西と東ではいろんなものが違うんだなぁ〜と思ったわー

ある意味、moclの "関西入門書" だったような。。

 

やっぱり血筋というものはあるんでしょうねぇ。

とても読みやすく、しかも情愛がきめ細やかに、時に大胆に描かれ、美しいものがたりになっている。

自伝的フィクションであり、「小説という嘘を書きながら、父への本当の気持ちがわかってきた」と作者が語っている。

ルコネサンスはフランス語らしく、「再認」「偵察」「踏査」などの意味があるよう。

それぞれの訳語が章題に採られ、距離が縮まったり、誤解から再び遠ざかったり、その都度、変化して形の定まらない、娘と父との関係を表している。

素敵な時間を過ごしました。。

 

 

、、、と云うところで、続けて有吉玉青氏下差し

同じ作家さんをすぐに読むって、図書館本としては初めて(本を自分のものにして読んでた時には、ガンガン続けて読んだんだけど)。

ちょうど読む本が少なくなって、残りの本に食指が向かず、図書館へ走りましたウインク

「ルコネサンス」とは違い、六編の短編集。

20代から40代までの6人の女性の "情愛" が描かれる。

結婚、仕事、別れた男、女友だち、プライド、更年期、、、誰にでもありそうな女性の危うい感情を描く。

むかし、森遥子さんも書いてらしたなぁ〜と思う。森氏はmoclより10歳上だったけど、37歳でデビューして52歳で亡くなるまで、精力的に本を出されていた。

二人に共通していると思うのは、けっしてウジウジと内向しないことかなぁ〜

 

 

そして、衝撃的なコチラ下差し

同性愛、同性婚(なかには友情婚というのもあるんだなぁ)がマジョリティであり、異性愛者がマイノリティの世界を描く。

男子は18歳になればスパームバンクにスパーム提供を義務付けられる世界である。

異性愛者である大学生男子のボナ(表向きはゲイということにしている)とエンダがスパームバンク占拠というテロ行為にでる。

そのテロを目の当たりにした当時18歳直前のビィは、その後、性転換して女性として生きるのだが、テロで学んだ "言葉" を得ようと記者を目指す。

展開がみごとで、終盤「えぇーっゲッソリ」と息を呑むことになる。

フィクションには違いないんだけど、、、"多様性" が語られ、同時に "少子化" も叫ばれるなかで、こんなふうな体制にされてはテロを起こすしか術がないよなぁ。

しかも体制側に入ってエンダが実践したことは、戦慄以外にない。

 

1981年生まれの古谷田奈月氏のエナジーは凄まじく、後半は誰のことを書いているのかと目が離せなくなる。

稀有な作家さんですわー

 

 

 

つぎは下差し

顔を見られたくないからという理由で地下室に籠って(隠れて)しまった妻の顔を、思い出すことができない主人公。

記憶を辿ろうとするが、記憶というのが一筋縄ではいかないことに気付かされる。

痛々しいほどに彷徨う主人公が行き着くのは妻とのセッション。

かつて、彼はフルート、妻はギターでセッションをしていたこと思い出し、妻の希望通りに地下室の暗闇の中で演奏する。

妻の双子の妹、そして狂言回し的な存在の後輩の火野。

「タンゴ・イン・ザ・ダーク」の後の「火野の優雅なる一日」が、謎なのであると同時にミョーに残る。。

 

もともと良くない記憶力が歳を追うごとに低下してきているんで、"記憶" のはなしには引きつけられるんだわー