中卒バイトから奇跡の出世を遂げ、「今太閤」と称された人物がいた。
その名を「浅井ガイチ」といい、事情通のおじさん職員の間では今でも語り草になっているという。
浅井助役が昭和56年の退任後、中日新聞に連載していたコラムをまとめたものだ。
さてこの浅井ガイチさん、どれほどの人物だったのだろうか。
略歴
明治44年生
昭和 5年(19歳) 名古屋市水道部下水課傭人(日給制アルバイト)
昭和10年(24歳) 高等文官試験 行政科 合格(国1キャリア、当時新聞記事になった)
昭和23年(37歳) 名古屋市人事部長
のち住宅部長
昭和32年(46歳) 水道局長
昭和36年(50歳) 財政局長
昭和44年(58歳) 助役
昭和56年(70歳) 退任
パッと見、30代で部長とか40代で局長とかが目に付くが、55歳定年制であったことを考えると、現代の順当出世コースに相当しよう。
また、本書によると「人事部長」ポストは、戦後の公職追放への対応のために新設された、市長直属ポストだという。
著者が世評と実力を兼ね備えていたであろうことがうかがい知れる。
歴代市長のエピソードなんかで出てきてなかなか楽しい。
名古屋人なら当時の新聞報道で知ってたりもするのだろうが、外様の私には「やれ本山市制が~」とかそんな話の中身を、市長本人の発言か垣間見ることができるのは非常に楽しい。
新聞記者出身で、市議会議長経験者の「塚本三(つかもと・ぞう)」市長は、親分肌の人物であったらしく、
成長期の日本で職員給与のベースアップを要求する議会に対してこう答弁したという。
「職員に、給与を少しでもよくしてやりたいと、一番強く望むのは皆さんより市長のわたしです。そのわたしが、市民の負担を考えてこれでいこうと辛抱しているのに、市民の代表である諸君には、わたしの苦衷がわかってもらえませんか」
結果、大阪や神戸が国家公務員基準を上回る給与水準にする中、名古屋は“国家公務員なみ”にしたという。
ここでは職員は市長の敵ではないし、市民もまた敵ではない。
中小企業のオヤジが「うちの社員が言うこと聞かない」といえば、そのオヤジさんに経営能力が足りていないのだと誰もが思うだろう。では政治家はどうか。
古の政治家はこのようであった。
そして自らの分をわきまえ、市長選への誘いを辞退し続けて「行政職人」の道を全うした浅井氏。
その浅井氏を使いこなす器量が市長にあったればこそ、彼は3期の長きにわたって助役を務めたのだろう。
その名を「浅井ガイチ」といい、事情通のおじさん職員の間では今でも語り草になっているという。
- じょやく物語―行政職人五十年/浅井 〓一
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浅井助役が昭和56年の退任後、中日新聞に連載していたコラムをまとめたものだ。
さてこの浅井ガイチさん、どれほどの人物だったのだろうか。
略歴
明治44年生
昭和 5年(19歳) 名古屋市水道部下水課傭人(日給制アルバイト)
昭和10年(24歳) 高等文官試験 行政科 合格(国1キャリア、当時新聞記事になった)
昭和23年(37歳) 名古屋市人事部長
のち住宅部長
昭和32年(46歳) 水道局長
昭和36年(50歳) 財政局長
昭和44年(58歳) 助役
昭和56年(70歳) 退任
パッと見、30代で部長とか40代で局長とかが目に付くが、55歳定年制であったことを考えると、現代の順当出世コースに相当しよう。
また、本書によると「人事部長」ポストは、戦後の公職追放への対応のために新設された、市長直属ポストだという。
著者が世評と実力を兼ね備えていたであろうことがうかがい知れる。
歴代市長のエピソードなんかで出てきてなかなか楽しい。
名古屋人なら当時の新聞報道で知ってたりもするのだろうが、外様の私には「やれ本山市制が~」とかそんな話の中身を、市長本人の発言か垣間見ることができるのは非常に楽しい。
新聞記者出身で、市議会議長経験者の「塚本三(つかもと・ぞう)」市長は、親分肌の人物であったらしく、
成長期の日本で職員給与のベースアップを要求する議会に対してこう答弁したという。
「職員に、給与を少しでもよくしてやりたいと、一番強く望むのは皆さんより市長のわたしです。そのわたしが、市民の負担を考えてこれでいこうと辛抱しているのに、市民の代表である諸君には、わたしの苦衷がわかってもらえませんか」
結果、大阪や神戸が国家公務員基準を上回る給与水準にする中、名古屋は“国家公務員なみ”にしたという。
ここでは職員は市長の敵ではないし、市民もまた敵ではない。
中小企業のオヤジが「うちの社員が言うこと聞かない」といえば、そのオヤジさんに経営能力が足りていないのだと誰もが思うだろう。では政治家はどうか。
古の政治家はこのようであった。
そして自らの分をわきまえ、市長選への誘いを辞退し続けて「行政職人」の道を全うした浅井氏。
その浅井氏を使いこなす器量が市長にあったればこそ、彼は3期の長きにわたって助役を務めたのだろう。







