駅で偶然この映画のポスター(ふたりが上を見上げる絵柄のもの)を見たときから、頭に残ってました。
それと「さよなら、私の青い鳥」というフレーズもなんだか気になってました。
それがずっと頭から消えず、直感にしたがって今回この作品を観てきました。
(ちなみに映画を観る直前までユーフォニアムの外伝ということを知りませんでした)
たしか冒頭で「disjoint」という言葉が出てくるんですけど。
パッと見、何語だろうと思って。ああ! 「dis-joint」…jointを否定する言葉かと。
「別れる」的な意味なのかな…。とすると切ないストーリーなのかと頭をよぎりました。
ユーフォニアムはすべて観たわけでなく知識不足なので、想像も入ります。
淋しそうに見えたみぞれに希美が声をかけ、吹奏部に誘うんですね。
みぞれは希美を純粋に好きで尊敬していて。演奏も上達していくけど、無意識的にブレーキをかけてしまう。
それはふたりの関係を壊したくないから…。追い抜きたくないから。
その関係はみぞれの歩みからも表現されていると、ふと気づきました。
最初の方でたしか、みぞれは階段に背を向け、ひとりでは上ろうとはしないんですね。
いつも希美のあとについていく…。
みぞれが希美を追い越さない姿がでているんだな、と。
そんなみぞれに対して「どうして本気出さないんですか!?」という台詞があって、印象に残ってます。
たぶん希美もみぞれが自分の演奏に合わせてくれている、ということを気づいていて。
ふたりの関係は希薄になっていく。
友人や先生の助言によってお互いを認め合い、ふたりは別々の道を歩み始めるんですが、気持ちはつながっているんですね。
同じ方向に行くのがつながることとは限らないと気づかされました。
別の道を行くのは分かれるということではなく、認め合うことで通じ合い続けることができるんだなと。
最後のシーンでふたりは並んで歩いていく。
以降は「なんかいいなぁ」と思ったことをいくつか…
女性キャラクターの髪がさらりとなるとこ
斜め横顔のアップシーンで片側ぼかしてるとこ
先生の指を組む(癖?)の描写
水槽のポンプの音
演奏は楽譜だけで表現されているのではないこと
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この作品は『聲の形』のスタッフさんがつくっていて、自分も観て感動しましたが感想を書くタイミングを逃していました。
こちらも覚えている範囲ですが、すこし語ろうと思います。
(記憶にたよって書くので実際の内容とくいちがうかもです)
原作が連載され始めたときネットで話題になっていて、なんとなく(過激な)内容は知っていました。
映画の冒頭は、うつろな表情で橋の上を歩く主人公、やぶられたカレンダー、封筒に大金…などのシーンから始まったと記憶しています。
このシーンから始まったことで、目を背けず観てみよう思いました。
将也がなりふり構わず硝子を助けるシーンがあるんですけど、涙しました…。
だんだん異質な状況を把握していく描写に引き込まれました。
「君に生きるのを手伝ってほしい」という台詞。
これは自分(将也)を助けてほしいから言ってるのではなく、硝子に生きる理由を与えているんですね…。
映画のCMで聞いたときに思ったことと、実際映画を観て思ったことが違い、良い意味で裏切られました。
それと、みよこだったと思いますが「やってみてから考えることにしたの」という台詞も印象的です。
この作品もやはり映像がすごく綺麗なのですが、音の描写も細かいなぁと。
水中のくぐもった音が、硝子の聴いている世界なんだと感じました。
『聲の形』を観終えたときにふと思ったのは、「それぞれの人物のタイムラインをつなぎ合わせてるつくられてる」です。
脚本によってキャラクターが動いているのではなく、キャラクターが動いてストーリーになっている印象です。
とても自然に思いました。