人を信じるということは?
と言う問いに
当時16歳だった芦田愛菜さんが
答えたことが、深い。






「裏切られたとか期待していたとか
 言うけど、その人が裏切ったわけではなく
 その人の見えなかった部分が見えただけ。

 見えなかった部分が見えたとき
 それもその人なんだと受け止めることが出来る
 揺るぎない自分がいることが
 信じることだと思いました」



人のタマシイは、
年齢や学歴や肩書きでは
なく、こころの奥に
きらめくような、
あるいは凛とした密かに光るものの
中にあるのかもしれません。


子供でも、学歴や肩書きがなくても
世間での社会的立場に関係なく、
静かに日常を送っている
人の中にも
霊性の高い人はいるものです。

自分のこころに曇りがあると
そういうことがわからなく
なるものかもしれません。