人生を点でみると、苦しいと思ったことも
時間が流れて、線になったとき、
人生の折れ線グラフは、
そこから上向きに変わった・・・
というのは、後からわかることもあります。
逆に有頂天だった時の点が
ズーット続くと思ったら、
それは、おごりで
そこから下降線になることもあります。
そうやって、
人生、ジクザクしながら
体験するってことに
意味がある・・・かな。
とは年齢重ねて思うことです。
ジクザクは、痛みもあるし、
喜びもある。
悲しみもあるし、
嬉しさもある。
辛いことはできれば
味わいたくはないけれども、
そういうのを全く経験しないと
優しさとか、
深さもないのかもしれません。
それも、その人の感じ方ひとつで
一つの物事のどこを
自分が感じているか?
だと思うのです。
そういう意味では、
結婚とか、パートナーシップは
自分の人生体験を濃ゆいものに
してくれます。
自分一人では
思うに任せぬこともあります。
ある意味、自然災害的なことが
起こります。
(なんのこっちゃ~)
コントロール不能とか、
予測できないこととか。
ですから、人生を自分一人で
コントロールしたいとか
思うと、結婚って
どうなの?
ってなる人も多いのかもしれません。
そういうのに対する、
耐性が強いタイプと
そうじゃないタイプといますから。
子どもとか生まれたら
余計にそうです。
親になって、わかることって
たくさんあります。
思うに任せぬことが
たくさんあります。
自分以外の人に
愛を注ぎながらも
自分らしく生きる。
エゴ(執着)が多すぎる状態は、
自分以外の人と生きるのは
苦しいものです。
どうして?
なんで?
普通○○でしょ!
とか、価値観の対立がおきますね。
結果に執着すると
現実や人をコントロールしたくなって
純粋な愛の波動からズレやすいもの。
エゴをゼロにするのは、
むずかしいけれど、
エゴを半分、手放しながら
「ま、いいか~」的に
気長に折り合いをつけながら生きていく。
そういうものが、
人とともに生きていくことでも
あるのじゃないかな。
そんなお話しもしながら
自分自身のこと、相性のこと、
異性のことについて学ぶ。