第4回のエアポートナイトライヴは、とにかく凄かった!!

オールスタンディング!叫び声!1200名!ダンス!

こんな風景が、空港の中にあるなんて!?

僕はこの時、初めてこの企画が1人前になったと感じ、スタッフと固い握手を交わしたのだ。

FMの田中さんの強力なプッシュで、ディアマンティスの起用となったわけだが、全部正解でした。

アルベルトとは、その後も何かと仕事やプライベートでお世話になったりしましたが、

あんなに才能があって、人間に豊かで、楽しくて、素晴らしいシンガーだと今でも思っています。


1994年5月7日の第3回目のエアポート・ナイトライヴ。
この回は、MRT宮崎放送の全面協力という事で、特別番組としてTV放送も決まった。

実は、この回だけステージの向きを真逆に滑走路に向けたのです。

いろいろ試してみたかってこともあるけど、まだ、この空港ライヴ自体が
スタイルを決めかねていたのだと思う。

結局、ステージの向きはこの回だけの事となったけど、宮崎出身の大城みっちゃんの歌声が、
響き渡る感じは、特別なものとなりました。

バンドメンバーも強力な宮崎のミュージシャン。

何もかもが特別だったのです。


1994年 3月 4日(金)
第2回目のナイトライヴは、初回から約半年での開催でした。
FM宮崎の鎌田さんの大きな協力や、FMの皆さんの情熱を感じたライヴだったのです。
アーティストは「ヤナギヤⅤ」というア・カペラ・グループ。
僕は、ブッキングには全くタッチせず、候補に上がった彼らの歌声に、大賛成したものでした。
スポンサーは資生堂。かなりオシャレなステージを目指した事を覚えています。

宮崎の皆さんの中でも、FMのリスナーには、「エアポート・ナイトライヴ」が、浸透する予感がしたものです。

1993年11月 3日(木)夜9時スタート!
初めての「エアポート・ナイトライヴ」。
いろんな人にお世話になりました。
宮崎日産の河野さん、FMの中原さん、勿論、たけちゃんや荒岡さんら、
ステージスタッフのみなさんも、初めてのスタイルに全力で取り組んで頂きました。

僕の描いたコンセプトは、
空港の吹き抜けの空間が、
LAやNYのジャズハウスのようになればいいなと、
そしてサタデーナイトライヴのように、
スペシャリティなステージになればいいなと
そんなぼんやりしたものでした。
そこに、伊豆田洋之さんの音楽性がマッチしたというか、
ミュージシャンとして、アーティストとして
こんなに上質な方が、1回目のパフォーマーだったことは、本当に幸運でした。


少し無理をしたのかもしれない。
いつものゆったりした時間がない。
寝起きの朝や、夕暮れのバイパス。
ギターのチューニングやパスタを茹でる時でさえ、
何かせわしなく心が騒ぐ。

今日はちょっと、力を抜いて揺れてみようかな。



進路予想は、2日半先の円の中に、僕の街はあるっていうのに・・・。


ふ~、とにかく風が強くなってきた。


手にしているのは「月の上の観覧車」って本。


作家は、萩原浩さん。




               最近「出る杭」の話をよく耳にする。


               いろんな人が、僕に大事なことだと伝えてくれる。


                ・・・・・・・僕には、よくわからない。



昔付き合っていた女の子の事とか、今の自分と夢のギャップとか、


この本には、重なり合う切なさが充満している。


そんな気持ちを、たまに味わう事も大切かなって、


妙に冷静な気持ちもあったりする。




             今夜は、なでしこジャパンを応援しなきゃ!


             もう、わくわくしている。

 

             03:40くらいのキックオフって狂気のスケジュールにも


             楽しみは薄れたりしない。


             彼女たちは、どんな杭だったのだろうか?




第2章まで読んで、少し休憩。


暗くなるのを待って、読むことにする。


すぐに終わりたくないくらい、余韻が染みる文章だからだ。


キックオフまでの時間に、ちょうどいい。




             窓の外に揺れるヤシの木。


             僕は、うつむいて、本を読む。


             もう一度、窓を眺める。


             やっぱり、確実に風が強くなっている。


    

松本 元復興相の発言で、唖然としたものだが、

そんな中、「オフレコ」について、少し考えてみた。


僕も長く宣伝・広報を努めている関係や、メディアの仕事をしていく中で、

「オフレコ」なるものに出会う事がある。


それ自体は、僕や、話し相手の口から飛び出したりするものから、

その場になんとなく浮かんでいるようなものまで、結構ある。


しかし、前提として、「オフレコ」って、話の前に登場しなければダメだろっ!


質問者「オフレコで聞かせてもらえませんか?」だったり

回答者「ここからは、オフレコでもいいですか?」などなど・・・。


つまりは、互いの了解を得てから発言するものだと思うけどな。


まっ、飲んでる席だったり、情報が伝わる事を想定して、

エンジンブレーキ程度の減速を期待なんて事も、たまにあるけど。


先日の偉い人の発言は全然違う。



今回の件で、おもしろいのは、メディアの初期対応が違った事。


つまり、放送したか、しなかったかという事。


「オフレコ」を履き違えて、命令だと感じたメディアは、それこそ考え直すべきだろう。



with a little help from my friends

「ちょっと、友達の力を借りるんだ。そうすれば、なんとかなるのさ。」
「一人ぼっちじゃさみしいし、愛する人がほしいけど・・・・」
「友達がいるから大丈夫だよ。」
「仲間のおかげで、なんとかやっていけるのさ」

7月7日は、リンゴの誕生日。

僕らも早く、バンドしなくちゃ!
みんなと音をださなくちゃ!

そろそろ、ストーン・フリー 集合!!




ちょっと昔のブログをリメイク。

#12「ポール」 2002/8/13

ずいぶん前のことだけど、ポールのコンサートに行ったことがある。
そうです、「ホール・マッカートニー」。
奇跡的な幸運に恵まれて、なんとアリーナ2列目の席。
その時は確か、僕にとって初めての彼を初めて体験するコンサート。
東京ドームに向かう過程のすべてが、はっきりとしないほど、緊張していた。


会場に着くと、もちろん、パンフレット、Tシャツ・キャップ・ピンバッチ・・・・
たくさんの誘惑に負けたあとで、ようやく僕の握りしめている数字の席に辿り着く。


僕らの前には盲目のカップルが、きちんと座っていた。

オープニングの歓声の中、立ち上がる観衆の中で、

彼らは座ったまま、二人静かに手を重ねている。

もう一つのそれぞれの手は、涙を拭い。

唇は僕らと一緒に歌っていて。

僕は、その光景を忘れない。

音楽が、いとも簡単に、心を震わせ、想いを巡らせ、

そして幸せを感じさせてくれたその日の事を。

ずいぶん昔の東京ドームのコンサートの出来事でした。



今日は、ポールの誕生日。

名曲「Maybe I'm Amazed 」はいかがですか?