といっても、僕は踊っていない。
カメラのこっちから身震いするほど感動していた。

まあ、150人のうちの120名は、<そんなつもりじゃなかった・・・>が本音だろう。

でも、必死で練習をしてきた30名のスタッフの気持ちと、滑走路に立っているという
なんとも奇妙な異次元的な感覚が、体をほぐし、そして踊らせたのだと思う。

与えられたわずかな時間で、フォーメーション、撮影の段取り、機材の準備、練習・・・片づけ

実際、よく出来たものだと思う。

「日本のひなた宮崎県」という、宮崎県の新キャッチフレーズ。

それから、「hinata!」という曲と振付。

観光関係者の僕らに問われたのは、何かできないかという漠然とした課題。


別々の航空会社の方々が集まり、何かやろうと話し合う。

これって、割とレアなケースなのです。

業界に深い方は、少しニュアンスがわかってもらえると思いますが・・・。

そして、結果は国土交通省を巻き込んでの、なんとオール空港の13団体からの150人。

早朝、3時に撮影準備のための打ち合わせ、4時半には、全員集合!!

朝焼けに照らされるまで、真っ黒な滑走路で練習。

昇ったおひさまの美しさに癒されて、撮影。

150人、それぞれの感動を想像しながらご覧ください。


滑走路を全員でチェックした後は、各職場に戻り業務が始まりました。

ダンサーは、宮崎ブーゲンビリア空港にいます。

お見かけの方は、どうぞ声をかけてあげてください。

みんな、頑張りました。。。

少しでも、楽しい面白いって思ってもらえると、それが幸せです。

久しぶりのブログは、こんな曲を・・・。

ちょっと、しみじみしている最近なのです。。。

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Talking to myself and feeling old
独り言をつぶやいては 歳を取ったなって思う

Sometimes I'd like to quit
時には投げ出してしまいたくなる

Nothing ever seems to fit
なんだかどうもしっくりこなくて

Hanging around, nothing to do but frown
時間を持て余しては、ただしかめっ面をするだけで

Rainy days and Mondays always get me down...
雨の日と月曜日はいつも私を憂うつにする...



What I've got they used to call the blues
こういう感じを、昔はブルーな気分って言ったんでしょうね

Nothing is really wrong
別に何も間違ってることも何もないけど

Feeling like I don't belong
行き場のない感じがするの

Walking around some kind of lonely clown
彷徨い歩く孤独な道化師のように

Rainy days and Mondays always get me down...
雨の日と月曜日はいつも私を憂うつにする...



Funny but it seems I always wind up here with you
おかしいけれど、結局いつも最後はあなたと一緒にいることを考えている

It's nice to know somebody loves me
誰かに自分は愛されているんだって感じられるのは幸せなこと

Funny but it seems that it's the only thing to do
おかしいでしょう、だけどこうすることしか思い浮かばないの

To run and find the one who loves me...
私を愛してくれる人に、走って会いに行きたいってことしか...



What I feel has come and gone before
今までに時折感じていたこの気持ちを

No need to talk it out
言葉にする必要はないわ

We know what it's all about...
だってお互い分かっていることだから...


Hanging around, nothing to do but frown
時間を持て余しては、ただしかめっ面をするだけで

Rainy days and Mondays always get me down...
雨の日と月曜日はいつも私を憂うつにする...

(日本語訳:東エミ/Seiichi Fujimoto)



今年は不思議なことが起こっている。

何かが変化しているサインだ。

詳しくは表現できないけど、僕にとっては原点回帰の現象。。。

それは、音楽を伴っていたり、昔の感情をたたき起こしたりしている。

僕自身は、少し不安ながらも不思議と受け入れているようだ。

1月9日ジミーペイジの誕生日。

人生の階段を登る抑揚を感じながら、久しぶりに聞いてみた。

聴き比べて欲しい。。。
40年の時を経たクロスロードです。
僕らのバンド、stonefreeも、もうすぐ結成20年を迎えます。
たくさんのクロスロードに立って、僕らが選んだ道が間違っていなかったことを
LIVEで証明するつもりです。
例えば、クラプトンのように・・・。

そういえば、小学生の時の夢は「クラプトンになりたい!」だったなぁ・・・。
いつか叶いますように。。。




また新しいお正月を迎えました。

パプニングやアクシデントもありつつ、それでもいつものお正月。


今年はいったいどんなことが待っているのだろう??


新しい事はきまって想像ができないこと。


そんなふうに、サプライズを密かに楽しみにしているスタートなのです。


どうか、お世話になる方、いろんなことで関わる方々、僕の味方でいてくれる人、そうじゃない人、

遠くの人も、思い出の人も、どうか元気でいてください。


今年もよろしくお願いします。


ピース!!

1995年9月29日
この日は、ポップスターで、ブレイク中の松田博幸さんと、ブルースシンガーの伊太地山伝兵衛さん。
不思議な組み合わせに、キャスティングの勇気を必要としたものでした。

この日の前日に、午後3時くらいの予定で、伊太地山伝兵衛バンドのみなさんを空港で待っていたのですが、
彼らは、飛行機で来るのではなく、関西のライヴを終えて、R&Rバンドのツアーバスのように
1BOXでやってくるというのです。
・・・・しかし、待っても待っても来ません。その当時、携帯も繋がらないし、
とにかく、僕らスタッフは、空港の車寄せで待ち続けることにしました。

理由はなんとなくわかっていたのです。

その日は台風のために、西日本は大荒れの天気。車なら半分仕方ないかなと。

ただ、待ち続けてもう夜。いくらなんでも遅すぎるだろうと、別のトラブルも想像し始めた頃、
その電話はかかってきました。

「奈良を越えたあたりで、車のフロントガラスに石がぶつかった。」
「フロンド硝子は粉々で、仕方なく全部外したのだ」という。

・・・・そして、

「修理も間に合わないし、とにかく宮崎ヘ向かおうということになった」だと!?

「ところが、予想外の事態が発生!!」

えっ!なんですか!?

「フロントガラスがない車は、まったくもってスピードがでないんだ!!!」・・・ん!?


夜中にたどり着いた彼らを見て、僕らは立っていられないほど大笑いしたのです。
だって、その姿は、ポリ袋に穴をあけ顔を出した伝兵衛さんらが乗る1BOXが、
恐ろしくゆっくりと空港に入ってきたのですから!!

結論は、フロントガラスが無いと、遅いし寒い!って報告でした。


もちろん、ライヴは最高!!

また、必ずお会いします!!





1995年7月1日 第8回目のエアポートナイトライヴ。
バンドの映像がないのが残念ですが、このバンドは、個人的に相当思い入れのあるバンドです。
当時、NYのカーネギーホールで演奏した、ビートルズを敬愛する日本のバンドということで、
大きな話題となりました。
ビートルズのカバーは、それはそれは素晴らしいのですが、オリジナルのクオリティの高さは
ビートルズのコピーバンドとは言えないものなのです。

ライブの当日は、ちょっとしたトラブルから、飛行機の到着が遅れ、スタートが遅れるという事態に!?
しかも、お客さんもスタッフも、彼らの乗った飛行機を空港(コンサート会場)で待っているという
何とも珍しいことになりました。

この回から、ロケーションの日高さんが、映像の撮影をしてくれています。
そのVTRは、ロケまで敢行した伝説の映像です!!

そののち、彼らは、宮崎県総合文化公園のグラントオープンのステージもつとめています。

今も、精力的に活動しています!!http://the-flyingelephants.net/

1995年4月19日。この日のパフォーマーは、ヒューマンソウル!
とにかく伝説のソウルバンドです。
知っている方には、説明することの方が恥ずかしいですが、日本の音楽史の中でも、
世界に通じる数少ないバンドの一つである事は、まちがいないことです。
後にベースプレイヤーの清水興さんのことを、多くのアーティスト方から、話を聞くこととなり、
この企画が、新しい枝を芽吹き始めた時期でした。


1994年11月30日
第6回のアーティストは、初めての外タレ!
ア・カペラグループの「ロッカペラ」だったのです!!!

少し早めのクリスマス・ライヴという雰囲気で、コンサートを演出したくて、

大きな、それは大きなもみの木を、宮崎空港オアシス広場に運び込みました。

本番前日に、もっと葉っぱの緑がほしくて、<そうだ!色を付けよう!>ということになり、
大きな脚立や、クレーンで緑色のスプレーをたくさん使って、色を付けたのを覚えています。

ステージパフォーマンスは、狙い以上に素晴らしく、クオリティの高いものとなりました。

このライヴで、心に決めたのは、有名無名関係なく、音楽的に素晴らしいアーティストを
このステージに招こうという約束。

少しずつ、自信がつき始めたのかもしれません。

福岡のジャムトレイン松尾さんに、お世話になり始めたのも、この頃だったと思います。


5回目は、当時もうブレイク中の崎谷健次郎さん、ちょっとナーバスな方でしたね。

もう一組は、福岡在住のご夫婦でペルー音楽をベースにしている、ハルさん。
FMのスタッフの中にも、ファンが大勢いました。
・・・・そういえば、FM溝口さんも、大好きなアーティストだったですね。

ご本人たちも、素晴らしい方でした。
また、会いたいアーティストです。