我が家で毎年恒例となっているお盆と正月の大掃除。


墓掃除、風呂掃除、洗面台や洗濯機と今年も進めています。


掃除出来ない親なので若い頃から私が担当していますが毎年どうして埃やカビが気にならないのか不思議で仕方ありません。


断捨離でよく感性鈍化というワードを聞くけれど我が家の場合は鈍化を通り越して狂っている。


私が掃除しても感謝されるどころか不機嫌になられたり具合悪いアピールされたり、いくつになっても腹が立ちます。


…と同時に、今年の帰省では親の老化をより実感して切なくなったりもしています。


介護サービスの利用がすぐそこになってきました。


異常気象が続く今、災害に備えるためにも家がこのままでいい訳がない。


昔に比べて相当断捨離してはあるもののまだまだ頭上棚や食器棚には大量の割れ物がぎっしりあります。


忙しさを言い訳にせず早急に取り掛からないと。


そんなことを感じている休暇中です。


そして、断捨離を通して自覚し意識してきたはずの他人への依存心・リアクションを期待する自分にも改めて気付かされ反省したのでした。


私は、私が両親に安全にスムーズに暮らして欲しいから掃除しているのです。

放置して後で大変な有様を尻拭いしたくないから未来の自分のために今動いているのです。


そこに親からの感謝を求めても虚しくなるだけ。


分かっていても暑い中汚れと格闘していると心の叫びが顔を出しますね。


今日はぐっすり眠って明日からまた目の前の汚れに向き合います。


自分が清々しくご先祖様を迎えるために。