『やまと言葉で〈日本〉を思想する』(竹内整一)。
「落葉松」(北原白秋)。
9年前にFacebookに投稿した記事を加筆修正の上、ブログに移植したもの。
竹内整一氏の著作には、『花びらは散る 花は散らない』や『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』といった著書もあります。
お読みになられたかたもいらっしゃると思います。
「花びらは散る 花は散らない」は金子大栄氏がよく揮毫された、「歎異抄」四条の「領解」の文章でもあります。
「さみしさ」の表現を好むところは、やっぱ日本人なのかな、感じました。
有名な詩ではありますが、皆さまとともに、味わいたく、記させていただきたく存じます。
ーーーーーーーーーーーー
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
・・・・・・
からまつの林の雨は
さびしいけどいよよ しづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
世の中よ、あわれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
ーーーーーーーーーーーー
ここでいう「さびし」は「淋し」。
木立が続く林で、水が絶えずしたたり流れる、という意味。
(P144)
そんな日本文化を川端康成は、『美しい日本の私』で、こう表現しました。
ーーーーーーーーーーーー
一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思わせるのです。
開き切った花を活けてはならぬと、利休も教えていますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ一輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのです。
冬ですと、冬の季節の花、たとえば、「白玉」とか「侘助」とか名づけられた椿、椿の種類のうちでも花の小さい椿、その白をえらび、ただ一つのつぼみを生けます。
色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています。
(本書、P161)
ーーーーーーーーーーーー
これだけのことを、私も含めて日本人はどれだけ伝えられるのであろうか、と感じました。
《追記》
北村透谷のこんな言葉が引用されておりましたので、ご紹介しておきます。
ーーーーーーーーーーーー
「思想あり、思想の思想あり、而して又思想の思想を支配しつべきものなり」
(本書、P210)
ーーーーーーーーーーーー
(2015・5・30読了)