『科学者、あたりまえを疑う』(佐藤文隆)。
「科学者の散歩道」。
8年前にFacebookに投稿した記事を加筆修正の上、ブログに投稿したものです。
文中の年数に関するものは、当時のものです。
私が佐藤氏の著書を拝読するのは、5年前(2011年)に刊行された『量子力学は世界を記述できるか』以来。
以前、拝読した佐藤氏の著書と趣を異にするのは、各所に歌唱の歌詞が置かれていること。
最初は、とまどいました。
しかし、それが佐藤氏の文章とうまくマッチしているから不思議です。
佐藤氏曰く、「思考を飛ばす」のあそび表現(P213)のつもりである、と。
こうした知的遊びをTTP(徹底的にパクる)して、どこかでつかってみたいと感じました。
読み進めながら、「力学」という言葉があったればこそ、「量子力学」という言葉が生まれたという記述には思わず、膝をうちました。
私は第8章の『「力を抜く」マッハ力学』に興味を惹かれた。
マッハとは、エルンスト・マッハのことを指します。
マッハの本は、原文は爆発的に版を重ねたが、日本語訳はなかなか刊行されなかった意味もおわかりいただけるのではと感じます。
マッハは『マッハ力学』の中で、科学における探求の意味について触れています。
「力学」だけに限らず、様々な科学という名を冠するものに当てはまるのではないかと思いますので、その冒頭の部分を少しく引用いたします。
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「あらゆる科学は、事実を思考の中に模写し与写することによって、経験と置きかわる、つまり経験を節約するという使命をもつ。
模写は経験それ自身よりも手軽に手許においておけるし、多くの点で経験を代行できるものである。
科学のもつこの経済的機能は、科学の本質を貫いているが、きわめて一般的に考えても明らかとなろう。」
(本書、P142)
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マッハは既読の著作でも、『鬼を捕まえることが科学ではない』と言っていることを思い起こしました。
本書は、私自身、一時期、のめり込み、今でも関心のある哲学者・大森荘蔵の『時は流れず』に触れており、嬉しく思いました。
【読書日記】でも、ことあるごとに書かせていただいてますが、碩学と言われている方々は、専攻分野以外にも造詣が深いと感じます。
佐藤氏もそうであると感じます。
それは異分野に、専攻分野のヒントがあるのと教養の深さを物語るのではないか、と。
目次をリストし、内容を概観していただくとともに、私の琴線に触れた言葉をご紹介し、まとめにかえたく、存じます。
科学に対する佐藤氏の知見に触れる全213頁。
タイヤ交換の待ち時間にすべて読みきってしまうほど、のめり込みました。
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《目次》
1、大森荘蔵の「時は流れず」、量子力学90年
2、ゲーテの色彩論、「できちゃった人間」
3、無人物理か?有人ぶつりか?
4、重力はエントロピーの「情報力」
5、「シュレーディンガーの猫」の時代
6、「問題には答え」、啓蒙思想の三要件
7、「法の支配」とワンダー科学
8、「力を抜く」マッハ力学
9、京大同学会「綜合原爆展」
10、司馬遼太郎の昭和、「行としての科学」
11、オッペンハイマーという選択
12、「民主主義」、そして四つの科学
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「原因と結果は経済的機能をもった思考上の産物である。
それがなぜ生じたかという問いには答えられない。
というのはまさに一様性を抽象することによって初めて「なぜ」という問いを習得するからである」《「マッハ力学」》
(本書、P143)
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(2016・4・29読了)