『坐禅に学ぶ』(大童法慧)。
「禅という手だて」。
7年前にFacebookに投稿した記事を加筆修正の上、ブログに移植したもの。
表題紙には著者の揮毫による、大きな〇の文字。
著者の禅のスタートは、永平寺の天童如浄禅師から学んだ、道元禅師が編まれた「宝慶記」についての5冊のノート。
その場でメモを取ることは許されませんですから、ノートに落とすのも大変な思いをされたんだろうなあ、と考えます。
「新到三年、晧歯を見せず」(おしゃべりなどしている暇はない、の意)という言葉が、禅道場にはありますが、そんな情景が浮かんできます。
本書の内容を概観していただくため、本文211頁の章立てをリストしておきます。
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1・ただ座ることから
2・自分を知る
3・生き方が変わる
4・日々が修行
5・人生の智慧
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そして、「座りなさい」から始まった修行から得たものとは。
考えさせてくれる一冊になると思います。
本書の中から、琴線に触れた個所の中から一つピックアップして、まとめにかえさせていただきます。
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「生きて今あるはこのことに会わんが為なり。
生きて今あるはこのことを喜ぶが為なり。
生きて今あるはこのことを行ずるが為なり。」
《湛玄(たんげん)老師の言葉》
(P94)
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ここでいう、「このこと」とは。
禅門でいう「本来の面目」。
「本来の自己」「本来のいのち」と言い換えてもよいかもしれません。
感謝。
合掌。
(2017・3・11読了)