『人間ざかりは百五歳』(大西良・平櫛田中)。
本書(本文210頁)は、1979年11月に刊行されたものを「読書のすすめ」さんが復刻された、ドクスメ・レーベルの一冊。
当時の時代背景をそのままに、復刻されたもの。
「読書のすすめ」さんのおすすめにあがらなければ、私自身、気づかなかった一冊でもある。
「読書のすすめ」の清水店長、そして小川さんにまず感謝したいと思います。
形式は二つのパートで各々が随想的に物事を語っていらっしゃる形式で、読みやすい一冊ではないかと感じます。
まず、本書の構成をリストしておきたいと思います。
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やっぱり「いま」が最高やな―大西了慶百五歳
長寿
日々好日
仏縁
平等
我
智恵
老病死
わしがやらねばだれがやる―平櫛田中百八歳
我が道
一処不住
人間苦
勲章
師
難中之難
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本書の中で気になった部分を順次取り上げていきたいと思います。
今回は、「やっぱり「今」が最高やな」から。
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「仏縁」
人間、運命というものは、何が機縁で、どう転ぶかもわからない。
私は、このときの親父の決断のおかげで、馬に乗ることはついにできずじまいに終わったが、そのかわりこの年まで現役でおつとめさせていただくことができた。
しかも、仏法という人間最高至上の価値に出会い、その仏法をひろめるという仕事をあずからせてもらうことができた。
なにもかも親父の無理強いで、頭をまるめたおかげである。
そしてなにより、この仏法の真実にめざめる佐伯定胤という偉い師に出会うことができた。
私が、仏法の仕事を続けているのも、この人の影響によるものであり、いや、今の仕事は、佐伯定胤師の遺産をみなさんに分配しているにすぎないと思う。
すべては、仏縁というものである。
仏のおはからいなのであろう。
(P54・55)
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(2024・1・11読了)