★心に残るボクシング映画『レイジング・ブル』ロバート・デ・ニーロ編/(復刻版) | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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心に残るボクシング映画『レイジング・ブル』




〈ロバート・デ・ニーロ編〉

今回紹介する大ヒット映画『レイジング・ブル』といえば実在した元NBA(現WBA)世界ミドル級王者ジェイク・ラモッタ(イタリア系米国人)が現役時代のニックネームだったレイジング・ブル(Raging Bull=怒れる牡牛)が題材となっている。
1940年代から1950年代にかけて活躍したジェイク・ラモッタが現役時代の栄光と引退してからの挫折や波瀾万丈な生活を書き綴った自叙伝が出版されベストセラーとなる。この自伝本を読んだロバート・デ・ニーロが衝撃を受け、名匠マーティン・スコセッシ監督にこのストーリーは映像化出来ると話しを持ち込んだことが切っ掛けでハリウッド関係者にも伝わり映画化されることなった。
しかし、この自伝はあまりにも波瀾万丈な人生を歩んだ原作者だったことで脚本が数度書き換えられたり映像制作(カラーかモノクロ)で問題が生じたりでクランクアップまで長い時間を要した。
この作品の4年前封切られたシルヴェスター・スタローンの大ヒット作『ロッキー』とよく比較され(あーだ、こーだ!)と批評論も交わされますが、そもそも内容はフィクションとノンフィクションで描かれ方が違うんです。

同じボクシング映画でも『ロッキー』はリング上でボクサー(架空人物)のファイトぶりを根性物としてシリアスに描いているのに対して『レイジング・ブル』は実在したボクサーが現役時代や引退後に犯した過ちと、それまでの暮らしぶりを回想するところから始まりシリアスかつノスタルジックに描き出されている。
この物語を観てSNSのシネマ欄では様々な感想が述べられていますが、要するに人それぞれ好みの問題と捉えます。
"レイジング・ブル"も公開から43年も経っている映画ですが、現在観ても色褪せない見応えある作品です。

迫力ある試合シーンの撮影にはモデルとなったジェイク・ラモッタ氏もボクシング指導者として参加していた。

(リング撮影で指導するラモッタ氏右)
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『レイジング・ブル』
【原題】RAGING BULL
【製作国】アメリカ合衆国
【配給】UA(ユナイテッド・アーティスツ/後にMGM傘下)
【上映時間】129分※(TV放送などはカラー部分カットの場合あり。現在進行形はカラーで回想シーンは全編白黒)
【公開】米国:1980年11月/日本:1981年2月

〈スタッフ〉
【監督】マーティン・スコセッシ
【製作者】ロバート・チャートフ/アーウィン・ウィンクラー
【原作】ジェイク・ラモッタ(元ミドル級世界王者)
【脚本】ポール・シュレイダー/マーディク・マーティン
【撮影】マイケル・チャップマン
【音楽】レス・ラザロビッツ

〈キャスト〉
★主演:ロバート・デ・ニーロ(ジェイク・ラモッタ役)
〈その他の共演者〉
★ ジョー・ペシ(ラモッタの弟/ジョーイ役)
★ キャシー・モリアーティ(ラモッタの妻/ビッキー役)
★ ニコラス・コラサント(怪しいプロモーター/トニー・コモ役)


ロバート・デ・ニーロはこれ以前にフランシス・F・コッポラ監督が1974年に撮った大ヒット作品『ゴッドファーザー2』に出演してアカデミー賞・助演男優賞を受賞している。
この後も立て続けに映画史に残るヒット作品に主演・出演した。
1976年マーティン・スコセッシ監督『タクシードライバー』
1977年マーティン・スコセッシ監督『Newyork Newyork』
1978年マイケル・チミノ監督『ディアハンター』
そして、ついに1981年マーティン・スコセッシ監督の金字塔となる『レイジング・ブル』でアカデミー賞・主演男優賞に輝いた。

とにかくデ・ニーロはどの物語に対しても異常なまでに、徹底して役柄に魂を込める役者である。
『レイジング・ブル』でのラモッタ役では当然のようにジムに通い現役ボクサーと同じように体を鍛え上げボクシングの試合シーンを撮り終えると、今度は引退したボクサーの体型を作り上げる為に、撮影を一時中断させる。
そして4カ月間わざわざ肥満する旅行に出かけるのだった。
フランスを含めイタリアに住むデ・ニーロの父親の親戚を訪ね歩き、大好物のパスタや肉料理を大食いして25キロも太ってまるで別人となって帰国するとラモッタの引退後の撮影を再開している。
このように徹底してその役柄に成り切ることから"デ・ニーロアプローチ"という造語まで生まれたのはあまりにも有名です。
監督のマーティン・スコセッシとは同じイタリア系アメリカ人ということもあって意気投合して出世作となった『タクシードライバー』を撮り終えてから益々信頼を深めていったという。
また、ジェイク・ラモッタも両親がイタリアからの移民者というところに余計に力が入ったようです。
そして、遂に『レイジング・ブル』を撮り終えたのでした。

【あらすじ】
1964年、元ミドル級世界王者のジェイク・ラモッタ(ロバート・デニーロ)はボクサーを引退してショービジネス界に入りニューヨーク市の歓楽街にあるバルビゾン・シアターで映画史に遺る名作『波止場』(1954年作品/監督エリア・カザン)を恰幅のいい体で語り部(解説)をしていたのだった。
ラモッタはこの映画で名優マーロン・ブランドが元ボクサー役で主演した名シーンの映像を見ながらセリフを真似て自分の歩んできた道と重ね合わせるように紹介するところから始まる。※(このカラー場面はTV放送などではカットされる場合もあります)

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そして、画面はジェイク・ラモッタの世界王者となる前の駆け出し時代の回想シーンへと変わる・・・

1941年、米オハイオ州クリーブランドでラモッタは負け知らずの快進撃を続けていたが、若い黒人選手のジミー・リーブスに1ー2で僅差判定負けしてしまう。
しかし、この試合はダウンを奪い滅多打ちにしたラモッタが明らかに打ち勝っていたはずだった。
試合が終わるとラモッタは周りに当たり散らしてセコンドに就いていた弟でトレーナー兼マネージャーのジョーイ(ジョー・ペシ)と言い争いにまで発展してしまう。



ラモッタは控え室に戻るとジョーイに「俺が試合を支配してたはずだ。あいつら二流ジャッジのせいで負けにされた。なぜ、お前は判定に抗議しなかったんだ!」と怒りを露わにするのだった。
家に帰ると荒れ狂い妻にまで当たり散らした。
怒りの収まらないラモッタは憂さ晴らしで酒浸りの荒れた日々を過ごすようになってしまう。そんな中、1カ月後には連勝を止められたジミー・リーブスと同じ会場で再戦したが、再び判定負けとなった。この戦いは明らかにラモッタの完敗だった。
その後は頂点を目指して勝ち星を重ねていくもののリングを降りると金儲けを企らむ怪しいプロモーターが現れ八百長試合を強要されるなど様々な出来事やトラブルが待ち受けていた・・・

最近、数あるボクシング映画の中からファンの間で再評価されている「レイジング・ブル」の予告編をどうぞ!(1分25秒)


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