「僕、インドへ旅に出ます!」〜前WBA世界ライト級王者・小堀佑介/番外編 | ◆ ボクシングを愛する猫パンチ男のブログ ◆

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…僕、インドへ旅に出ます!~前WBA世界ライト級王者・小堀佑介…
…僕、インドへ旅に出ます!~前WBA世界ライト級王者・小堀佑介…

   パッと咲いて、パッと散ったボクサー小堀佑介!
'08年5月19日WBA世界ライト級王者ホセ・アルファロ(ニカラグア)に初挑戦した小堀選手は2回にアルファロの左右集中連打を浴びてダウン。しかし、3回に小堀選手が挽回してアルファロに左フックを浴びせてダウンを奪うと左右フック連打でレフェリーがストップしてTKO勝ち。見事に王座獲得。会場のデイファ有明は歓喜に沸いた。

'09年1月3日、初防衛戦は対(最強トップコンテンダー)パウルス・モーゼス(ナミビア)。
初防衛から指名戦とは酷だ!と苦言もあった。試合会場パシフィコ横浜。
試合はモーゼス選手が序盤から左ジャブ、右ストレートを繰り出し、右アッパーカットを放つ。3回以後、小堀選手は出入りの上手いモーゼスに右強打で対応するが、上手く逃げられパンチを外される。9回終了間際モーゼスがダウンするがスリップダウン。しかしVTRを見ると小堀の右フックが入っている。これは明らかにダウンである。10回から壮絶な打ち合い。手数でモーゼス。単発ながら有効打で小堀。
12回を終えて、結果を待ったが、モーゼスのアウトボクシングにして遣られた格好だった。採点は各ジヤッジ2ポイント、2ポイント、10ポイントの0対3で負けて王座陥落。最後までモーゼスのアウトボクシングの上手さに翻弄された。

その後、練習を再開するが首筋の痛みが引かず、病院で診て貰った診察結果は頚椎椎間板ヘルニアの最悪の診断だった。このまま続けても悪化するだけとの診断にやむなくグローブを置くこととなった。
引退宣言した後にTVインタビューを受ける小堀佑介。
リポーター:「どうして引退なんですか?」
小堀:「あッ!ハーッハィッ!クッ首がダメなんです!」
リポーター:「それはどういうことなんですか?」
小堀:「病院の先生から言われました!頚椎椎間板ヘルニアと言うことで!クッ首のヘルニアなんです!」
リポーター:「えーッ!そうなんですか?それは知りませんでした?」
小堀:「このままボクシングを続ければ、君の体は完全にダメになるよと先生に忠告されました!~もう疲れました!ハイッ!」
リポーター:「小堀さんリベンジを期待してたんですが残念ですね~!これからどうされるんですか?」
小堀:「ボッ僕!旅に出ます!」
リポーター:「どちらに!」
小堀:「ハイッ!インドです!」
リポーター:「それじゃ~彼女とですね~!」
小堀:「えッ!イャ~フラれました~ッハイ!」
リポーター:「小堀さん!インドと言えば仏教の発祥地ですが!何か精神修行でも?」
小堀:「えッ!ハイ!あッそうです!心のリセットでもしようかなと思ってます。ハイッ!」
小堀佑介は根っからの恥ずかしがり屋で天然ボケ。テレビ画面では恥ずかしいそぶりを連発するが、かえってそれが受けて不思議な魅力を浮き出させる小堀佑介であった。

高校時代(千葉敬愛高校)は吹奏楽部でコントラバス(1年生時)を吹いていた。まるでボクシングとは結び付かない。進学の為に猛勉強していたが、あまり勉強自体は好きではなかったらしい。ある日、むしゃくしゃしていて、フラッと立ち寄った角海老ジムにそのまま入門する。その頃、ジムの大先輩で平成のKOキングとして人気スター選手だった坂本博之選手に憧れていく。そして、高校生プロボクサーとしてデビューした。
日本S・フェザー級のチャンピオンになった時に祝勝会の後、山手線に酔っ払って乗り、寝込んでしまい4回もグルグル回っておまけに、チャンピオンベルトを電車内に忘れてしまい、駅員に「スイマセン大事な忘れ物が?お願いです!電車止めて下さい!」と言った話しはあまりにも有名。何とも情けなくて、おっちょこちょいで大胆な行動だが、何故か憎めない選手だった。8カ月の短命王者だったが小堀佑介のキャラクターを充分に満喫させて貰って、人間像まで浮き出させてくれたそんな選手だった。
神風コボリ、また一人記憶に残る選手が去って行く。

【戦歴&戦績】
〈第41代日本S・フェザー級王座6度防衛。その後返上〉
〈第34代OPBF東洋太平洋S・フェザー級王座防衛0。その後返上〉
〈第74代WBA世界ライト級王座 防衛0〉
アマチュア・15戦9勝6敗。
プロ・27戦23勝(12KO)3敗1分。