Re:無題
Cornさんすみません。
途中で送信を押してしまいました。
今週も元気に美味しくお過ごし下さいね🤗
Re:無題
Cornさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
伯母はエラが張っていて、頬がこけた輪郭でした。
更に眉山が高くて天然アイシャドウ状態だっだったので、世を忍ぶ仮の姿のデーモン閣下?みたいだったはず…
『お前も感電死させてやろうか?』などと、不適切発言をするクセ強めの女性でした。
この伯母は、母の兄の奥さんだったので、実は私と血は繋がっていないのですが、親戚の中では伯母と私が似ていると、何故かよく言われます。
子供がいなかったこの伯母伯父夫婦に、私は実の子のように可愛がってもらいました。
伯母からは、たくさんの迷アドバイスや迷励ましをもらい、今でも感謝しています。
Cornさんも、今週も元気に美味しくお過ごしえ
Re:無題
ペットのくすりやさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
きゃ~お料理褒めてくださってありがとうございます♪
私は文系の方はすごいと思います。
理系は解き方は複数あっても、答えが一つなのでわかりやすいと思います。
でも、文系って解釈の仕方がたくさんあって、正解がひとつではない…私には難しいです。
正解が一つじゃないなら、もうちょっと私の国語の点数に加点して!と何度思ったことか😢
特に『情景描写から人物の心情を述べよ』みたいな問題は苦手でした。
『外はいつから降り始めたのか、雨だった。この冷たい雨は…』みたいな文から、どうやって人間の気持ちに結びつけるの?と悩み、更には『心情?…天気予報の間違いじゃない?』と回答用紙の前で呆然としていた中学生でした。
言語や文化は、国や環境によって変わりますが、『1』のような数字の観念は、国どころか別の惑星に行っても数字の観念は変わりません。ある意味シンプルです。
この仕事を目指したのは『人類が滅びても遺跡で残るようなものを作りたい』という憧れと、もう一つは悪代官みたいですが『動く金がデカいこと』です。
伯母はちゃんと計量して料理する人でした。
私や実家の母は全く計量しないタイプなので、世を忍ぶ仮の姿のデーモン閣下が計量スプーンで味醂を量る姿に、よく感動していました。
新学期が始まったのか、バスや電車が先週より混んでるみたいな気が…
今週も元気に乗り切っていきましょうね~🤗
もちえさんの伯母さまがデーモン閣下だったとは、今までの無礼、お許しください。
大変失礼いたしました。
聖飢魔II結成前の伯母さまは大変パワフルな方だったんですねー。
そんなDNAがもちえさんに受け継がれているんだなと納得しました。
今日は蝋人形の館を口ずさみながら晩酌することにします!
おはようございます!
もちえさんのお料理、レストランのようですごいですね。
・:*(〃・ω・〃人)*:
理系の方、とても尊敬します。
私はまったくダメです。高校の同級生に数学のほうが楽、と言った人がいました。
答はいつも1つだからって。
もちえさんは何に惹かれて理系がお好きなのでしょう?
それは火薬やセメントをまぜまぜしてとか数式でおっしゃいませんように。
デーモン閣下のような伯母様、ちょっと想像がむずかしかったです。
伯母様の年代はエプロンより割烹着を着ていたはず、
割烹着をきたデーモン閣下・・・。
月曜日から悩ましい映像をありがとうございます。
眠気が飛びました! ( *´艸`)
お仕事が順調に進む良い週でありますように!(* ˊᵕˋㅅ)
Re:無題
ヤマナさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
母の時代は、女子の理系が珍しかったようです。
女子の理系はいるにいたらしいですが、理系が得意な女性は、医学部や歯学部、薬学部、看護系、もしくは学校の先生になる場合がほとんどだったらしいです。
母は工学部だったため、就職先を探すのに苦労したそうです。
やっと女子を雇ってくれる会社がありましたて、男性の同期達と普通に現場仕事をして出張や残業もしていたのですが、会社は『女子の給与は、女子事務職と同じに』と言って譲らなかったそうです。
その当時は、女子事務員にはボーナスがなかったり、住宅手当などがつかない会社が多かったそうです。
結局、2か3年後には公務員試験を受けて、公務員に転職した母です。
当時は、転職も珍しい時代でしたから、母は行動力があったのだなぁと思います。
だからか、私には『公務員になれば?』と言い続けていました。
結局、公務員になったのは、私ではなく弟でしたが😂
私の時代は、母や伯母の時代に比べればラクなもんかもしれません。
今は転職も自由だし、海外にも転職の幅は広がっています。
努力のしがいがある時代に生まれてきたのは、本当にラッキーだと思います。
ヤマナさんもお身体を大切にたまには休憩しながら、お孫さんたちと楽しく元気に春をお過ごしくださいね🤗
お母さんも工学部を出られた理系女子だったのですね。
その当時では珍しい方だったのではないでしょうか。
Re:無題
まさのんさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
この伯母は、元々は中学卒業したら直ぐに集団就職しようと思っていたそうですが、中学の先生に『国立高専っていうのが設立されたから、受けてみなさい』と言われ、入ったそうです。
当時は、女子が出願できる学科は『電気』と『物質(化学系)』の2つに限定されていたそうです。
女子はトイレも着替えも、女子施設は仮設だったころで、なかなか不便だったそうです。
確かに伯母は、私が高校で習う数学や物理をチラッと見て『意外と簡単なのやってるのね』と言っていました。
私の時代はラクだなぁなんて思います。
田舎にいた私は、偏差値に疎い受験生でしたが、父方の親戚から文句を言われない大学という基準で大学を選びました。
海外で仕事をしていると、外国人の同僚は日本の大学を全くわかっていません。
外国人の同僚は『日本の大学は全部が日本大学?東京にある大学は全部が東京大学?北海道にある大学は…』という認識です。
超テキトーです。
職種によりますがエンジニアだと、これまでの職務経験と携わってきたプロジェクトが重視されるので、海外では出身大学はあまり聞かれませんね。
日本はお花見シーズンですね。
楽しく美味しく春を満喫してくださいね🤗
叔母さん、そのころに電気科って
相当優秀だったと思います。
自分は時代的に大学ならどこでも。
出来るだけ偏差値の高い大学へ
って感じでした。
世はバブル。。。
学歴社会。。。
ムチャクチャ美味しそうなの
たくさんですね!!
Re:無題
パンツ山根さんこんにちは。
コメントありがとうございます。
私は文系がからきしダメで…
特に古文、漢文は苦しみました。
今、漢文が日常の都市に暮らして30年弱…サボったツケを払っている感が満載です。
私の時代、現在50歳オーバーのスーパー超ウルトラど田舎育ちは、塾や模試が通える距離にはなかったんですよ…
しかも、模試は親戚宅に前日泊まらないといけない状態…
本番の大学の試験までは、そんな泊まりだの特急で移動だのは許さない父方の親戚のオヤジども…
ワシには赤本しかなかったとですたい、師匠😭
赤本は受験の年の高3に、過去問として使うものだとは知らずに、受験事情がわからないアホだったので『高専とかはすんごい速さで勉強している。私は多分高2から赤本をやろう』と、無駄に過去問に燃えて勉強した記憶があります。
あとは山川の世界史用語集マル覚えとか。
ハーブは、ご近所さんの台所栽培からのお裾分けでいただきました。
インドのスパイスとも、中華の漢方系スパイスとも違うハーブだったので、アレンジも楽しかったです。
私もフランチ弁はわからんとですばい。
同僚によると『シャトーヌフ デュ パプ』教皇の新しい城だそうです。
新しいって、何世紀前の話だーとは思いましたが『へー』と納得したふり。
アルコール度数は、どのワインも大差ありませんが、サトウヌフフデバブバブは香りも素晴らしく美味しゅうごさいました。
乾杯でーす🍻