私と両親 | 生きることに向いていない

生きることに向いていない

生きることに向いていない人の半生と独り言

なるべく時系列を大事に

と思って順番に気を使ったが

心療内科の話で親の話が出てきたので

私と両親について先に書いてみる

 

 

両親が30代の頃に

初めての子として生まれた

 

時代を考えると

少し遅い子のような気もする

 

父親は会社員

母親は専業主婦

 

田舎基準ではあるけど

中流家庭くらいだったと思う

 

父親と母親は仲が悪いわけでもなく

かと言ってラブラブというわけでもない

 

ゲームなど欲しい物は

基本的には買ってもらえたし

外食することも月に数回はあった

 

長期休みの時に年1回くらいは

旅行にも連れて行ってもらった

 

お金という意味では

不自由のない暮らし

 

でも母親と合わない

そう感じ始めたのは小学校高学年

くらいからだったと思う

 

性格も合わず

趣味も正反対で

例えば服装や持ち物も

可愛い系が好きな母親

かっこいい感じが好きな私

 

きっと根本的に

人として合わなかったのだろう

 

中学に上がると本格的にそう感じた

 

周りの子たちが自由になる中

私は周りの子と比べ

締め付けを感じていた

 

ある日のこと

部活の後、学校の前で

おしゃべりに夢中になって

時間が遅くなってしまった時

帰りが遅いからと迎えに来たこともあった

 

親が迎えに来てくれて

ラッキーとは思えず

恥ずかしいと感じた

 

心療内科の記事で書いた

診察室にまで付いてくる件もそうだが

ずっと子ども扱い

 

高校に入っても

夜遊びやお泊りなんかは出来なかった

 

そもそもダメと言われることが

分かっていて諦めていた

 

通信制高校に入学し

平日だけ一人暮らしを始めると

夜には毎日電話が掛かってきた

 

いつまでも子ども扱いで

息苦しさを感じた

 

周りの子や家庭を

羨ましいと思った

 

周りの子から聞く親子関係と
私の親子関係は違って
ますますうちの親はおかしいと
考えるようになった
 
そんな時
過保護・過干渉・毒親という
3つの言葉を知る
 
この3つの言葉は
私の母親の説明するのにぴったりだ
 
暴力や出来ない子扱いをするなど
子どもに攻撃的な親ではなかった
 
でもそれ故に周りから
気付かれにくい
 
いつになっても子ども扱いされ
親の所有物のような扱い
 
そんな扱いが嫌で嫌で
通信制高校卒業後は
さっさと上京した
 
でも上京後も毎晩のように
電話が掛かってくる
 
あまりにも無視すると
今度はメールが来る
 
そしてそれすら無視すると
その時まだ父親名義のガラケーを
使っていたのでGPSが起動する…
 
うんざりなんて言葉では
言い表せない
恐怖・気味の悪さを感じた
 
どんなに遠くに居ても逃げられない
そう感じた
 
帰省のタイミングで
「そろそろ自分で携帯代を払う」と言い
名義を変更した
 
それでも電話やメールは来るけど
GPSは起動できない
 
 
 
色々あって今は連絡先すら
教えていない
 
もちろん住んでいるところも
教えていない
 
もう10年以上会ってもいない
 
それでも母親から受けた後遺症は
今でも続いている
 
1番顕著なのは判断力のなさ
いわゆる優柔不断な性格
 
ちょっとした物事すら
判断することが難しい
 
彼氏にもよく
「自分でたまには決めなさい」と
言われるレベル
 
・自分に自信がない
・自分の意見がない
・人の顔色ばかりを伺う
・誰かに必要とされたい
・愛されたい欲が強い
・人間関係を築けない
などなど
多分私が気付いていないことでも
後遺症はあると思っている
 
 
ちなみに父親はあまり話に
出てこなかったけど
私に無関心なわけではなかった