【津波とたたかう】 ヤマサ醤油って使ってます?今は千葉の野田にありますが、かつては、和歌山県にありました。七代目当主、浜口梧陵は、南海道地震の時、津波を察知、「火事の際はむらびと総出で消さねばならない」という村の定めを思いだし、自分の田の藁束に、あえて付け火をし村民を救いました。
(9割の村民が救われた)

それだけではなく、約5000両もの資材を投げ打ち、村を再興し、堤防を造りました。小泉八雲は、彼を主人公にした物語を書き、彼を'Living God'と讃えています。
 堤防は、半世紀後の昭和南海地震の津波にも耐え、多くの村人を救いました。

ちなみに、同じ小泉ですが、小泉単純一郎首相は、スマトラ沖地震復興のASEAN緊急会議の時、シンガポール政府関係者から、浜口梧陵のことを称賛されたけど、知らなかったという話です。

テレビドラマ「JIN」ではペニシリン開発を援助した人として出てきますが、実際は、種痘開発に私財をなげうった人でもあります。
今日は、ボランティア・バスのアイデアを、
今回の震災で、実行に移した方を尼崎に訪ねました。

アムネスティ日本支部の設立に尽くされたお一人で、
そのころから、お世話になりっぱなし。

三重県のNPOが、しっかりボランティア・バス(ボランティア・パック)の考え方を創ってくれて、助かったと語っておられました。

観光のための旅行も素敵ですが、
ボランティアのための旅行もいいですね。

足、泊まるところ、食料、医薬品、コーディネーター、
すべてワンパックになった、
ボランティア・ツアーです。

添乗員さん(&バスガイドさん)=コーディネーターってことです。

現地までの、長いバスツアー中に、レクチャー出来ますしね。
チーム分けも出来るしね。
かつて、釜ヶ崎の日雇い労働者の方で、原発労働やってた人から、いろんなことを聴いてました。

 ーー「始末書の話」
 
「一日被曝量は100ミリレム(1ミリシーベルト)ときまってた。建屋内ドレイン清掃など、それで終わるはずはない。どうしても、越えてしまう場合がある。
すると、始末書をかかんとあかんのや。会社のせいで、長い時間働かされてるのに、始末書書いて責任とらされ、怒られるのは、労働者たちやで。会社が始末書かけ!とおもたけどな。とにかく、始末書書いて怒られるのいややから、被曝量を少なく書かいてしまうの、人情やろ。
会社のせいで、除染せんとあかんようになって、それを除染して、
被曝して、怒られて。
怒られるのいややから、被曝量少なく書いて、病気になって。
この世の中、わしらみたいな、底辺の人間をさらに、底辺に押し込んで、
みんな幸せにくらしとる。なんか、せつないことやけど」