VRとラカンとショーペンハウアー  | 平野敦士カールオフィシャルブログ「プラットフォーム戦略®経営講座★」Powered by Ameba

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(株)ネットストラテジー代表取締役アマゾン1位 プラットフォーム戦略他著書多数元興銀マンゆかし会員 

 

五月晴れになりましたね!

 

最近VR バーチャルリアリティ が話題です 

世界カメラの失敗から資金調達という点ではイマイチとも言われています

小生は事業としてよりもそれがもつ意味の方に興味があります

 

それは映画マトリクスの世界に一歩近づくからです

そしてそれは フランスの構造主義哲学者であり精神分析家でもあったラカン

世界に通じるからです

 

ラカンは世界とは想像界、象徴界、現実界の3つに分類しています

 

マトリクスでいえば キアヌリーブスが生きている世界はコンピューター上の

想像界 となり、荒れ果てた本当の世界は 現実界、そして 想像界を創りだす

見えないルールが 象徴界 ということになるのでしょう

 

実際人間社会はすべて 象徴界のルールに支配されているという指摘に共感します

 

つまり生まれたばかりの人間は何のルールにも支配されていませんが次第に親との関係

つまり エディプス・コンプレックスによって社会のルールが刷り込まれていくわけです

 

つまり我々大人の世界の認識は象徴界のルールによって支配されていると考えるわけです

 

そう考えると実は今目にしている世界はありのままの世界ではなく、その世界で素晴らしいとか称賛されるようなものの価値観もだれかのルールに支配されているのではないかと

言えるわけです SNSなどのいいね!なども新しいルールになりつつあるのではないでしょうか

 

ラカンは人間の欲望の原因を対象aとしていますがそれは欲望とはいかに幻想的なものかを示しています

 

みんなが凄いというから欲しくなるブランド品のような例がわかりやすいですね

 

そうすると 他者の承認を求めることが人間的欲望のベースにある ことになり

ラカンは 人間の欲望は他者の欲望である と述べています

 

時代とともに称賛される価値は変化しています 今ならば エコ とか でしょうか

 

小生はそうした象徴界のルールが必ずしも悪いとは思いませんが過度に振り回されない注意は必要だと思います 

 

自分は本当にそれを欲しているのだろうか? という問いを自分にぶつける時間が必要ではないかと思うのです

 

資本主義社会では金儲けをするある種のゲームが称賛されてきたわけでそれは今ほころびを見せています

しかし戦国時代や軍国主義の時代のように領土を拡大して勝つことが称賛された時代よりは

遥かにましだった気もするのです 

 

今また日本は戦前の軍国主義に回帰しようとしていることは経済がよくなることよりも遥かに危険なことだと思います

 

ショーペンハウアーは 人生は苦悩だ と言いました なぜならば 人間には 欲望があるからです

 

欲望は苦悩を生み、欲望を実現したら、退屈になる、そしてまた新たな欲望が生まれる

 

人生とはそうした 苦悩と欲望と退屈 の連鎖だということです

 

つまり 人は何かの欲望をもつが それを定める社会のルール つまり 象徴界

によって世界の未来の方向性が変化していくのではないかと思います

 

だからこそ激しい競争下にある欧米の経営者は 無 の境地である 禅 に惹かれるのかもしれません

 

VRが広がるときにそのルールを支配するのがGoogleやAppleになることは人間の生きる価値観までも支配することに繋がるのではないか、、、などということが杞憂であることを祈ります

 

雑感