平成仮面ライダーシリーズ最終作「仮面ライダージオウ」が、本放送では昨日、関西圏では今日、最終回を迎えた。

平成の締めくくりを掲げて色々とやってきた番組だが、この1年を振り返って僕なりの感想を述べてみるとしよう。


















結論から言う。
僕はこの番組が大嫌いだ。

特撮史上屈指の駄作…かは分からないが、少なくとも今まで鑑賞してきた特撮ドラマの中では文句なしにワーストと言っても過言ではない。
というわけで、ここからは何故「仮面ライダージオウ」が駄作なのか、1点ずつ僕なりの考えを述べさせて頂く。



・キャラクター
面白い作品には魅力的なキャラクターが必要不可欠であることは、恐らく誰もが同意することであろう。
中でも、仮面ライダーのようなバトルものでは、主人公とヴィランがとりわけ重要となってくる。
が、ジオウはまずそこからガタガタだ。


まずは主人公、常盤ソウゴ。

ジオウを鑑賞した人ならご存知の通り、彼の行動の根底には「みんなを幸せにする王様になりたい」という願望がある。
2018年の日本において18歳の青年が普通そんなこと言うのか、というところも突っ込みどころの一つではあるが、まぁそれ自体はフィクションの嘘と割り切ってしまって差し支えないだろう。

問題は、この王様願望がソウゴのキャラクター性に深く根付いている一方で、そこに説得力を付加するための描写が致命的に欠けているということだ。
彼は王様になりたいと口では何度も言っているものの、現代社会でどうやって王様になるのかと考えてみたり、王様になるために勉強に励んだりといったシーンは皆無。
それどころか、「王様になるから勉強はしない」と堂々と言い放ち、高校卒業後もバイトのひとつもしていない。王様になるための具体的なアクションを起こすシーンが、文字通り何一つないのだ。
本気で王様を目指すなら、最低でも大学院くらいは出ておくべきではないのか?教養のない王になど、誰も従いたいとは思わないだろう。
どうせなんだから、「テストで王様になれなきゃ本物の王様なんて無理でしょ?」と余裕で全教科満点を取ってみせるくらいした方が、まだ大物感は出たのではないのか。
要するに、ソウゴの王様願望はハッキリ言って幼稚園児の夢見話と同レベルなのだ。

確かに、「俺の民を傷つけるのは許さない」とアナザーライダーに立ち向かう、ヒーローらしい立派な姿勢を見せることはあるし、身内には寛大だが敵とみなせば容赦はしない、いかにも王の器らしいところもないわけではない。
が、こうした面が、先述した口だけの王様願望と全く噛み合っておらず、幼稚なのか老成してるのかがシーンによってブレブレなのだ。
演者である奥野壮氏の演技は文句のつけようがない素晴らしいものだが、表現するべきキャラクターがこの有様だから、むしろソウゴの薄っぺらなキャラクター性がますます浮き彫りになってしまっている。

言ってしまえば、本作はソウゴの魅力を前提にして話を進めているのに、肝心のソウゴに魅力がこれっぽっちもないのだ。


次に、本作のメインヴィランであるタイムジャッカーだ。

終盤まで彼らがしていた行動はというと、アナザーライダーの生成。
他にはほとんど何もしていない。
精々、時々現れては時間停止能力でソウゴ達にちょっかいをかけるくらいだろう。
バックボーンすら、物語が終盤に差し掛かるまで何一つ明かされなかった。
しかもアナザーライダーは基本的にタイムジャッカーとはまた別のバックボーンや行動原理を持って動いているため、シナリオ進行においてタイムジャッカーは完全に食われてしまっているのだ。
本作の黒幕であり、何かにつけて大物らしい感じを漂わせているスウォルツも、組織全体がこんな感じだから描写の薄さはかなり深刻だ。
ヘタすれば作中で彼が踏み台にした飛流の方が、まだキャラが立っていたかもしれない。


せめて、彼らも自前の怪人態に変身して戦ったり、アナザーライダー生成以外にも様々なところで動いている様を見せておけばもう少し深みも出ただろうが、これでは単なるアナザーライダーを作って時間止める人ABC以上の存在ではない。
作中でどれだけタイムジャッカーはヤバいとアピールしても、実情が全く伴っていなくて上滑りしているだけだ。


他のキャラクターも、悪くはないが取り立てて魅力的というほどでもない。
ゲイツはソウゴといかにドラマを重ねても、ソウゴのキャラクター性の薄っぺらさに引きずられて全く響くものがないし、ツクヨミも彼女の素性に絡むところ以外ではさしたるドラマもなく存在感が薄い。
ウォズは最初の辺りこそ独特な立ち位置で存在感を発揮したものの次第に単なるネタ要員の祝い魔と化し、順一郎はほとんど便利な修理屋同然の存在だ。

ミライダー編では珍しく、2話しか出てこないミライダーにも少ない出番で確かな背景や信念を匂わせる描写を行い、各キャラクターを魅力的に描けていたが、なぜそれを1年間ぶっ通しで登場する主要キャラクターに対しては行えないのか理解に苦しむ。


キャラクターが魅力的でも作品には色々ケチが付いているコンテンツもあるが、少なくともキャラクターがつまらなくても作品は面白いコンテンツなど僕は聞いたことがない。
こんなにつまらないキャラクターばかりでは、話が一向に面白くならないのも必然だろう。



・シナリオ
上述した通り本作のキャラクターはつまらない連中ばかりだが、その原因の一つとしてシナリオ構成の粗さは大きい。
第1話からしていきなりビルド編に突入したが、レジェンド客演とジオウの基本的な設定解説と主要人物の紹介全てを並行して同時に行なっているため、ひとつひとつの要素が非常に希薄になってしまっているのだ。
おかげで、序盤のレジェンド回はなんかよく分かんない奴がなんかよく分かんない形でライダーのパワーを継承されてなんかよく分かんない内にレジェンドの歴史が消えたという形になってしまっており、おかげで後々のエピソードにおける仮面ライダーの歴史が云々といった話にほとんど重みが付加されないのだ。
それこそ歴史を継承したというよりも奪い取ったように見えて仕方がない。


新装備登場の過程もかなり雑で、「なんかよく分からないけどエモいシーンだからライドウォッチが生成された」「特定のライドウォッチが揃ったからなんか新しいライドウォッチが生まれた」のどちらかのパターンが大半だ。

そもそもライドウォッチとはなんなのかとか、なぜ歴史をライドウォッチの中に封入できるのかとか、どういう原理でライドウォッチが生成されたのかとか、そういう説明はもちろん皆無。
基礎となるシステムがこちらに全く伝えられないから、どのライドウォッチも突然降って湧いた強い装備以上の印象を抱けない。

説明不足はここに限った話ではない。
ツクヨミやスウォルツが生まれたという別の時間軸の王家、ゲイツだけ装備の仕様が微妙に異なる理由、オーマジオウの正体、ダイマジーンやカッシーンといったオーマジオウ勢力の装備の出自や辿った顛末、なぜツクヨミ達の世界にだけ仮面ライダーがいなかったのか、そもそもなぜ仮面ライダーがいなければ世界が滅ぶのかなど、いくつものサブプロットが提示されては大した掘り下げもなく放置されている。
白倉P曰く「尺の問題で扱いきれなかったから放置せざるを得なかった」らしいが、サブプロットなど、完璧にとまではいかなくてもある程度は計算して配置されていて然るべきではないのか。


各フォームの魅せ方も、とても上手いとは言い難い。

ジオウのものだけに目を向けても、ジオウⅡとトリニティはそれなりに魅せられてはいたものの、アーマータイムは同じライダーの力でしか倒せないというアナザーライダーのシステムに足を引っ張られてデビューの次の話で早速役に立たなくなり、特にディケイドアーマーはライドヘイセイバーなどという特徴的な装備まで引っさげておきながらまともな戦果をほとんど残せていない。

グランドジオウに至ってはデビュー戦からして格下の電王が基本フォームだけで終始圧倒できていたアナザー電王をライダー連続召喚でタコ殴りにして撃破というあまりにも情けない有様で、しかもそれ以降はオーマジオウやアナザージオウⅡやアナザーディケイドなど、強敵ばかりにぶつけられては叩きのめされて醜態を晒している。
勝ち星も時々は上げているものの、正直言って召喚だけが取り柄の雑魚フォームのように見えて仕方がない。
最終決戦でも召喚したライダーと一緒に仲良くボコボコにされて変身解除に追い込まれ、トドメをオーマジオウに取られる始末だ。
最高最善の魔王が聞いて呆れる。

どうやら、これはライドウォッチは全て揃っていてもライダー全員の歴史は継承していない(ドライブウォッチはゲイツが未来でオーマジオウから盗んだもの)のが原因らしいが、「仮面ライダージオウ」という番組が販促フィルムであり、グランドジオウが最強にして最後のパワーアップとしてマーケティングで位置付けられている以上、それがマトモに活躍出来ないような設定を組んだ時点で大問題なのではないのか?

他の面子に目を向けても、ゲイツは番組の性質が性質だけにリバイブ以外のパワーアップが殆どお零れ同然だし、ウォズもギンガファイナリー以外は活かせていたとはとても言い難い。

新装備を手に入れたヒーローが普通に強くなり、強敵をカッコよく蹴散らすのが見たいと思うのは、何か間違っているだろうか?



・デザイン
せめてカッコいいデザインのヒーローの戦いを楽しみたいと思っても、この番組はそれすら許してくれない。

平成ライダー、特にW以降のタイトルでは奇抜なデザインが定番化している。放送前に批判を浴び、いざ放送されると「動いてるところを見ると案外カッコいい」と評価が一転するのもお約束だ。

ジオウも、顔にデカデカと「ライダー」と書かれた衝撃的なデザインが話題をさらったものだ。

が、僕は正直言ってこのデザインがカッコよく見えた瞬間がない。
動いているところをどれだけ見ても、何段階のパワーアップを目にしても、全くジオウのデザインに魅力は感じられなかった。

奇抜さで言えば、今までもロケット頭のフォーゼや、鎧武者とオレンジを組み合わせた鎧武、どぎつい蛍光色と瞳や髪型のような意匠をあしらったエグゼイドなど、この上をいくようなデザインはいくつもあったのに、なぜジオウだけはこうも魅力を覚えられないのか。

この謎は、インタビューにおける白倉Pの発言を踏まえて考えるとすぐに氷解した。
曰く、元々ジオウは腕時計のみをモチーフにしたメカニカルなライダーとしてデザインが決まりかけてきたが、これでは過去の独創的なデザインのライダーと並んだ時に面白みに欠ける、という発想から顔に文字を書くことが発想されたのだという。

要するに、ジオウのデザインは、一度は決まっていたデザインラインに全く別の不純物を無理やりねじ込んだものだったのだ。
先程挙げたフォーゼや鎧武やエグゼイドは確かに仮面ライダーのデザインとしては奇抜極まりないが、それでもデザインラインそのものは全体で統一されており、いわばひとつのデザインの流れとでも言うべきものがきちんと成立していた。
大して、ジオウは時計ライダーというデザインラインに混ざりものを入れてしまったがために、デザインの流れが乱されてしまっているのだ。
これではいくら動こうがカッコよくなどなろうはずもない。
演出で魅せようにも、そもそも表現すべきデザインの力がないのだから。

サブライダーは、この路線が決まってからデザインされたのか、幾らかマシにはなっている。
ゲイツは平仮名をシャープなデザインにかなり上手く落とし込めているし、特にリバイブが「らいだー」の「い」を触覚に見立てているのは中々秀逸であろう。

ウォズやツクヨミも、あまり上手くはいっていないがデザインに文字を溶け込ませようという努力の片鱗はある程度窺える。
が、ジオウはいくらフォームチェンジやパワーアップを重ねても、ただ「ライダー」と書かれているだけのデザインから全く脱却できておらず、時計要素が秀逸にまとまればまとまるほど、文字という不純物がそのまとまりを無残に破壊してしまっている。

極めつけはグランドジオウだ。
あれだけ文字を散々推しておきながら、全身にあしらわれているのは文字ではなく像。

それこそ過去の全ライダーのロゴでも書いておけばよかったのではないのか?
面白みをつけるための個性とやらすら中途半端ではどうしようもない。
一度文字を入れると決めたなら、せめてその意思を最後まで貫いてくれ。



・客演
ある意味ここからが本番。

作品自体の出来だけでもこれだけケチがつくジオウだが、1番深刻な問題点は旧作への敬意が全く感じられない適当な客演だ。


まず前半におけるレジェンド回では、アナザーライダーの登場によって過去のライダーの歴史が消え、変身能力も失われてしまう。
まずここからして問題だ。
変身能力を失うだけならさほど問題ではない。
過去に戦ってきた経験までなくなっているわけではないし、むしろヒーローの真髄は変身能力ではなく心の持ちようであるという点からでも話を展開できる。
が、ジオウはその過去の経験までまるごとリセットしてしまう。
つまり、本編における戦いで重ねた成長が全てなかったことになってしまうため、いくら格言らしきことを言ったところでそこに重みが全くないのだ。

更に、ライダーの歴史とともに怪人もセットで消えてしまうなら、オルフェノクとして蘇生していなければ本編よりもずっと前に死んでいた巧や、ゲーム病の発作(厳密に言えば他にも色々とあったことが小説版で語られたが)が原因で交通事故に遭わなければ医者を志すこともなかったであろう永夢はどうなるというのだ。

酷いケースにもなると、アナザーライダーが倒されてレジェンドにパワーが戻ったかと思いきや、アナザーライダーの復活ですぐまた元に戻ってしまうというケースまである。
ビルド編もこのパターンになり、完全なる予告詐欺が繰り広げられる運びとなってしまった。



そして、これが原因で散々批判を受けたからなのか、後半のレジェンド回ではアナザーライダーが生成されてもライダーの歴史は健在で、変身能力もそのままというあまりにも露骨な路線変更が繰り広げられた。

これによってレジェンドにも多少見せ場は与えられたものの、前半で雑に処理されたライダーのファンからしてみればたまらないだろう。
僕自身、平成ライダーで一番好きなエグゼイドを序盤も序盤で雑に処理された挙句にオーズ編で死体蹴りまでされたのを目の当たりにしていたため後半のファンサービスに気合が入れば入るほど、そのサービス精神をなんでエグゼイドファンにも発揮してくれなかったんだという憤りしか湧かなかった。
しかも、その後半ですらキバ編という爆弾を抱えている。
キバ編なのにキバ要素を探す方が難しいという時点で、最早論ずるにも値しない。


更に、グランドジオウやアナザーディケイドの登場によって、過去のキャラクターやその歴史はソウゴとスウォルツの武器も同然になり、レジェンドキャラクター達が戦いの歴史の中から都合のいい部分だけ切り取って利用されたり、木っ端のようなオリジナルキャラに瞬殺される様を毎週のように見せつけられるようになった。



極めつけに、終盤ではとうとう仮面ライダーアクア/湊ミハルが戦死した。

過去作を扱うお祭り作品が客演キャラを殺害するという、一番やってはいけないことをやってしまったのだ。


しかも、ここで殺されたミハルは現状オーズのゲストキャラに過ぎず、彼自身の歴史は継承されるどころかまだ始まってすらいなかったのだ。
それを一時の感動のためにあっさりと殺してフォローもしないとはどういうつもりなのか。
どんな設定を並べ立てようと、過去作を取り上げる以上は絶対に超えてはならない一線というものがある。





・総括
平成ライダーの負の側面を鍋にぶち込んで1年煮込んだ様な有様だ。
魅力のないキャラクター、勢い任せで行き当たりばったりな脚本、センスのないデザイン、雑な客演と、もはや目も当てられない。
最低最悪の魔王は、オーマジオウではなくこの番組そのものだったという酷いオチである。


劇場版では平成の歴史は凸凹で醜いと吐き捨てた敵に「それは誰もが瞬間瞬間を必死で生きてきたからだ」とソウゴが言い放つという展開があったらしいが、18年間も瞬間瞬間を必死に生き続けてきた集大成がこんな駄作だというなら、やらない方がずっとマシだ。

奥野壮という名俳優を掘り出したことやミライダーの魅力など、賞賛できる要素こそ幾つかあるが、ジオウの苦痛に身を晒してまで味わう価値があるものではない。

今まで色々と言いながらも仮面ライダーを見続けてきたが、ゼロワン以降もこの調子なら、流石にもう見捨てることを検討せざるを得ないだろう。