認知症のニュースを見ていて 親父のことを思い出した。

親父は死んで もう15年くらいたつかな?

死んだ人を思い出すことは 死んだ人に対して良いことだって 俺っちの心情なんだが

 

血小板減少になってしまったとき(多分血液がん) 医者の勧めで 結構強めの

ステロイド系の薬を飲んで いつしか うつの症状が出だした。

まぁ医者は薬のせいではないなんて言っていたが まぁ確実に薬のせいだったろうね。

 

ステロイドってやつはホルモン系の薬だ。飲むとホルモンの影響から強気になり、切れると

落ち込む この状態が ウツになった原因だ。(多分)

それが あまりにも続いてくると・・・・・せん妄(せんもう)

その後に 仮認知症が出ていた。

 

 

この認知症 人それぞれだろうが 親父は 30歳から38歳で記憶が止まった状態となっていた。

例えば、俺っちを見ると認識は可能だが 目がぼやけており小学4年生くらいに見えているようだった。

 

仕事柄 精神系病院や介護病院等に出入りしていたこともあり、なんとなく接し方も 

分かっていたのでよく話を合わして 聞いていた。

 

で思ったのは 人それぞれだろうが その人の記憶の中で 多分だが1番楽しかった時、

苦しかった時の記憶が すごく出ていたようだったね。

 

認知っていろんなのは有るんだろうが 結構ちゃんとした記憶をなぞって 話をしてくる

イメージだった。親父の内容は 福岡の田川・飯塚・大牟田 この辺りの炭鉱廃坑による

折衝の内容が多かった。実はこの頃って 親父を見てて知っているが 監督署署員で

相当きつかったのを覚えている。(役所に行きたくなかったと本人も言うくらい)

 

 

だが 認知の状態で話を聞いていくと 本人的は1番頑張っていたって言う話が出てきた。

苦労して対応してたんだなぁ・・て

 

まぁその当時の炭鉱廃坑による団体交渉は 本人以外にもヤクザが絡んで 一緒に

来ていたらしい。その対応が 他の奴ではできなくて 親父が対応していたらしい。

 

なんというのか 嫌だった割には結構 はきはきと答えて居たし 多分力が

入っていた時代だったのだろうって・・・・

 

他の家の人の認知で聞いたことが有って その人は8歳から10歳ころの話をする人

だったらしい。

 

やっぱり 戻る時代が一番いい場所に戻るんだろうと思う。

まぁ 俺っちの親父の場合、2時間程度話をしていると 急になんでお前がいるんだ??

なんて言って あれ!!??病院・・・・あ~―入院していたんだよなぁ・・・って

現代に戻ってくるという 仮認知で 毎日がほとんどその繰り返しだったと思う。

 

 

せん妄や認知症ってのは 子供から見ると相当つらいことでもあるが 長く話を聞いてあげたり

していくことで 本人も安心して寝たり、戻ったりと 結構ありうるから まぁ聞いてあげることだね。

俺っちは 正直楽しく聞いていた記憶があるかなぁ・・・・

 

認知症になった親の家 処分悩む子 - Yahoo!ニュース

 

 

あーーーーーーーでも ステロイド系は飲むくらいなら 死んだ方がマシかもしれないね。

結構な歳になると 相当つらい薬なんだと思うよ。

腎不全にもなりやすいしね・・・・・・・