その7

 

ハワイ王国警察庁長官のもとに、革命暫定政権に全てを引き渡すよう要求する書面が届きました。

その晩とその翌日も、何もかも平穏でした。

 

18日午前10時、私は一線から身を引こうと閑居を求め自発的にワシントンプレイスに移りました。

 

1月19日、ハリソン大統領に手紙を書き、正義を行って欲しいと訴えました。

 

「我が偉大にして良き友人

 合衆国大統領ベンジャミン・ハリソン閣下へ

 

この場を借りて、私は深い遺憾の意を表明します。

一部の我が臣民が、外国人の支援のもと忠誠を捨て我がハワイ王国立憲政府に対し反乱を起こしました。

彼らは私を退位させ、この王国の基本法に真っ向から対立する革命政権を樹立しようとしました。

 

合衆国全権大使閣下がこの目的のために軍隊を上陸させたという議論の余地もない明白な証拠を受け取った私は、大使が自ら代表する合衆国の権威に基づいたのでなければあのような行動をすることはないと信じ、その力に屈しました。

 

私がこの行為に至ったのは次の三つの理由によります。

合衆国との紛争は無益であること。

暴力・流血の事態・人命と財産の損壊をどうしても避けたいこと。

そして貴殿と貴国政府は領土内で我々になされたいかなる過ちも絶対に正してくれるだろうという確信です。

 

やがて時が来ればこの件に関する真実を記載したものが貴殿に提出されるでしょう。

ですから私と私の政敵たちについて、貴殿は公明正大かつ正当に判断されるだろうと希望を持って生きています。

この要請は私個人のためではなく、常に合衆国の友情と保護を享受してきた我がハワイ国民のために行うものです。

 

私の敵対者たちは目的達成のためここで調達できる唯一の船を手に入れました。

彼らがその船で代表団を合衆国に送り、貴殿の前で彼らの一方的な主張を披露するつもりだと聞き、それならば私も同じその船で、私と私の忠臣たちの前に現れた事実として私の主張を具申するために使節団をそちらに送りたいとお願いしたのです。

が、この要請は拒否されてしまいました。

 

それで今あなたにお願いいたします。

この私と私の国民への公正を期して、当方の言い分が貴殿に届くまでは、合衆国政府はいかなる措置も決して取らないでいただきたいのです。

二月二日前後に使節を派遣いたしますが、こういうわけでそれが直近の可能な日付なのです。

こちら側の使節は全力を尽くして急いでそちらに向かいますので、この件の決着に支障はないものと存じます。

ですから、私の使節が到着するまでは一切結論は出さずにおかれますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

変わることない心からの敬意を込めて。

 

(署名) LILIUOKALANI  」

 

 

 ハリソン大統領は私の訴えに目もくれなかったようです。

というのは、2月16日、大統領がハワイの状況および合衆国内の状況のあらゆる条件や問題点について、はじめに詳しい調査も審議もせずに、併合条約を批准の方向で上院にメッセージを送ったと知ることになるからです。

 

大統領のメッセージについては、貴殿もすでにその文書をご存知ですからここでは省略します。

 

 私はクリーブランド氏にも手紙を書きました。

 

「合衆国次期大統領 グローバー・クリーブランド様

 

 我が偉大にして素晴らしき友へ。

 

ハワイの島々を激しく揺るがした事変は、ハワイの人民や私自身、そして我が一族にも非常に深刻な影響を与えましたが、その中にあっても、私は合衆国との親しい関係に加えてあなたとの個人的な友情や善意の恵みを受けて、より一層の慰めを感じています。

ここで起こった変化はこの手紙に記すまでもありません。

この手紙があなたに届くときには、公式の情報を受け取っていらっしゃるでしょう。

が、それでも私はポウル・ノイマン(彼は私が代理人としてワシントンへ派遣した人です)に、ホノルルでの革命に関する事実および状況の詳細を貴殿に提出し、貴殿が引きあいに出し易い表現で補足するよう指示いたしました。

 

どうかこの件をしかとご検討くださいますよう、我が国民に取って誠に重要な問題であります。

そして、海軍、それも合衆国の軍事力の後ろ盾にかこつけて、友好関係にある港で、我々が訴える我々に対して行われた不正を救済すべく温かい手を差し伸べてくださいますよう強くお願いいたします。


私は貴殿へのこの要望の下に、貴殿の立場にいかほどでも抵触する可能性のあることを覆い隠すことは絶対にないとお約束します。

そして私どもの恨みつらみを貴殿のその手に託し、貴殿が正当とみなす限りきっと私どもは貴殿の共感と援助をいただけるものと確信しております。

 

あなたの良き友、

女王リリウオカラニより」

 

1893年1月17日、イオラニ宮殿で

ジョン・グッド大尉によって引き摺り下ろされた

リリウオカラニ女王の王室旗。

旗はその後ジョン・グッドがアメリカに持ち帰り、

グッドの孫息子が1925年、米国軍のウエストポイント博物館に寄贈した。

その後火災などで損傷したが1940年に博物館が修復、保管していたが

1976年にハワイに返還された。

 

画像は、The History Hidden in Hawai‘i’s Heralds”よりお借りしました。

 

 

非常に興味深い記事でした!↑

 

 

(その8につづく)