第38章 ハワイ人のための新憲法 ( 前 編 )

 

 夫の死後、ワイキキの家の召使いたちから、自分たちも私と一緒にホノルルの家に住み込みましょうか、と申し出があった。

(この家臣たちには、みなそれぞれにワイキキの敷地内のかなりの土地を分け与えてあり、どの家庭も自分たちの家を持った上に、子供達にもそのまた先の子供達もその土地を受け継ぐことができた。)

それで各家族ごとに1週間ずつ、この居心地の良いオフィスを受け持ってもらうことにした。

この取り決めは私が定めたもので、夫の亡くなったその日からしっかりと守られていた。

 

 この辺で、私の敵たちによってあくどいやり方で利用された事件について触れておくべきかと思う。

 

 私が女王に即位したことで、夫は王配となった。

そして兄を埋葬した後、私は夫に宮殿に引っ越すことを提案した。

だが弱った体の彼にあの長い階段は酷だ。

当然上り下りしなくてはならないのだから。

そこで私はバンガローを修繕させて、家全体が彼の使い勝手の良いようにしたらどうかと持ちかけた。

 

この話を彼はとても喜んでくれて、自分の病気が良くなったら、新しい家に移ることができるだろう、とその時を本当に楽しみに待ち望んでいた。

 

バンガローの近くに小さな門を開けてくれ、と彼は望んだ。

宮殿の正門から入る時にはいちいち門番の歩哨に認証が必要なのだが、それがあればそんな面倒もなく行き来できるからだった。

彼の要望は即座に認められ、国務大臣にその旨指示が伝えられた。

バンガローはとても立派で見事なまでのしつらえとなっていて、夫が入居できるようにあらゆるものが準備されていた。

けれども彼の相変わらずの長患いのせいで、結局最後までそこに入ることはなかった。

C・B・ウィルソンと彼の妻(訳注:①)は( 彼女は私の相続人の一人でもあり、幼い頃から私達夫婦は彼女のことを大切に考えていたということもあって)、自分たちも私のそば近くに行ってよろしいでしょうかと聞いてきた。

 

その返事として、二人にはバンガローの中のポオマイケラニ王女が使っていた部屋を使って良いと伝えた。

私たちがその件についてかわしたやり取りはそれが全てだ。

ウィルソン夫人とクラーク夫人が侍女として常に私のそばに支えていた。

 

イブリン・ウィルソン夫人は小さい頃から私にとても懐いており、常に私への深い敬愛の念を自負していた。

そしてリジー・カポリ(訳注:②)とソフィー・シェルドンという二人の令嬢と一緒に私の家に住み込みで暮らしていた。

 

心はいつも幸せいっぱい、なんの心配も気苦労もない、キラキラした若い少女たち。

彼女たちは、あの頃の私の日々をこれほど楽しい時代はないというものにしてくれた。

ウィルソン氏が可愛らしいキティ・タウンゼントを見初めたのもまさにその頃。

だから私達はウィルソン氏を、未来の妻を口説いている若者の頃からよく知っていたのだ。

私達夫婦は彼の人となりを好ましく思い温かい目で見守っていた。

そして、妻キティとともに彼も自然に我が家の家来となり、時には私たちのところに住み込んだりもしていた。

 

Charles Bernett Wilson,   1850-1926

 

 

 だが、見どころのある青年が一人前の男になったらどうなるかなど、誰にもわからないものである。

 

ある日サミュエル・パーカーの訪問があった。

内閣の問題をいくつか話し合った後、いきなり私に

「公務のことでC・B・ウィルソンに助言を求めたり、手伝いを頼むようなことがあったという報道に間違いはないのですか」

と聞いてきた。

それに対してごく当たり前に、なんでそんなことを訊ねるのか、その理由を問いただした。

彼がいうには、ウィルソンがダウンタウン(市の中心街)で、「自分は内閣がらみの案件のことも知っている」とか、「ある法案が通ったのは自分が助言をしたおかげだ」などと人々に吹聴しているということだった。

 

こうした発言を巧みに利用して、J・E・ブッシュとR・W・ウィルコックスが彼らの発行している新聞に私の評判を傷つけるよう周到に計算された記事を掲載していた。

 

私はパーカーに、自分の内閣以外の人間には誰一人相談などしていないこと、そして大臣たちからの助言を除いてはいかなる措置も行ったことは断じてない、と答えた。

 

彼はこの言葉に嘘がないということをわかってくれたし、そしてこの時の会話の要点を内閣の同僚たちにも伝えてくれた。

 

ブッシュとウィルコックスは私が摂政の任についたまさにその始まりの時に、あけすけに公職の地位を要求してきたことがあった。

私にはそんな力はほとんどないし、はっきり言ってそんなつもりは毛頭もないような願いだった。

なぜならどの公職もその時には、私が良かれと思った人々で全て埋まっていて、彼らは忠実で国王を重んじる人ばかりだった。

ブッシュはその上、自分の新聞に、私の承認を得ていない記事まで出していた。

私の兄である国王を攻撃する記事だった。

 

彼は公務の仕事の口を求めている時に、反対派で働いていたのだろうか?

そうであろうとなかろうと、彼のその後の行動は少なくとも私自身に対して、彼とその家族のためにいつも便宜を図り、彼の子供に教育を与え、彼ら皆を貧困から救い出してきた人間に対して、これ以上ないほどの恩を仇で返す行いだった。

これまでに他の場所でも語ったことのあるR・W・ウィルコックス。

彼もまた私の敵の一人となっていたことがこれでわかるだろう。

 

 つい先ごろ、1889年の”ウィルコックスの乱”当時、王の兵舎で行われた集会にウィルソンも加わることになっていて、それから集会を離れてこっそりとA・F・ジャッドの家に向かい、一連の出来事を洗いざらいぶちまけるつもりでいたのだ、という話を耳にした。

自分の友達だと思っていた人々の中に恩知らずの裏切り者がいるのを突きつけられることほど辛く苦しい経験はない。

だから私は、この話については何かの間違いであってほしいと切に願う。

 

 (中編に続く)